2011年9月3日土曜日


Die Quadratur des Kreises(円を四角にすること):第36週

by Jan Skacel (1922 - 1989)




【原文】

Die unterschiedlichen Entfernungen des herbstes
und die stelle mit den hobelspaenen
die zurueckbleibt
wenn der zirkus abreist aus der stadt

Und nach lange danach
gehn die schulkinder auf einem umweg nach haus
um auf dem ring
den loewen riechen zu koennen




【散文訳】

秋の様々な距離
そして、サーカスが町から旅立つときに
残る
鉋屑(かんなくず)の散らばった場所

そして、その後長い時間が経って
子供たちが学校の帰り道に道草をする
円の上で
ライオンのにおいを嗅ぐことができるために




【解釈】

詩の題名の、円を四角にすることとは、それは不可能事だという、ひとつの言い方です。

チェコの詩人です。

この詩人のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Sk%C3%A1cel

この詩は9月の詩。

この時期のサーカスの去った後のことというと、レイ・ブラッドベリーの作品を思い出します。

ブラッドベリーは、9月ではなく10月、October, October Countryですが。

この秋という季節とサーカスと、サーカスの去った後また跡の、そんな雰囲気が、この詩にはある。

最初の一行、秋の様々な距離という言葉がいい。

これは、秋が様々な距離を有するともとれるし、秋になると、様々な距離が生まれるという意味にもとれる。

あるいは、秋になると、様々なものごとと距離が生まれ、お別れすることになるのか。冬を前にして。それは、そうだ。

詩の題名の円とは、サーカスの舞台のあの円形をいっている。

サーカスが去った後では、その円を四角にすることはできないという意味か、いや、それが出来るのだ、それが秋の、サーカスのテントや円形舞台の終わった後の、そこに立って、ライオンのにおいを嗅ぐことができるのだ、という意味かも知れません。

後者の意味にとった方が、何故最後の一行に、「ライオンのにおいを嗅ぐことができるために」と、「できる」という助動詞を詩人が入れたのか、そのこころがよりよく理解できると思います。

この訳語は、日本語にすると、少し馴染みのない、変な感じがいたしますが。

それも、子供にその能力があるといっている。

学校帰りの、道草をする子供たち、というのもよい。

わたしも、子供のころ、確かに、このような生活をしていたと思う。

円を四角にするという生活を。


0 件のコメント: