2009年6月18日木曜日

リルケの詩を解釈すること

リルケの詩を理解しはじめ、それがわたし自身にもなじみのないものの考え方や感じ方ではないと知るにつけ、たった短い詩行の一行においても、至った理解を言葉にしようとすると(ここのところは、ドイツ語、日本語の違いは全く無関係である。個別言語を問わない、個別言語の問題ではない)、ばらばらになる。分解して話さなければならないからだ。

こういう高次元に立体的な建築物について、日々時間の中で書くことになるブログという形式で書くことは、本来向いていない。

時間の中で解釈されることを拒む悲歌を、どうやって時間の中で解釈することができようか。

できるとしたら、わたしの言葉を、時間の順序ではなく、リルケの詩の構造に従って、紡ぐことだ。これが、回答だ。ブログでも、そうであれば、かけるかも知れない。もっとも、読者にとっては、大変かもしれないけれども。義経の八艘飛びみたいに、ひとつのことを巡って、あちこちに飛ばなければならないから。

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