昨日は、天使を論じ、いやその前に若い死者たち(と仮に、今呼んでおく)、のことを話さなければならないので、悲歌1番の最後の連から今日は始めようと書き、自分でもそう思っていのだが、しかし、これがやはり難しい。
わたしがわかっていても、それを人に伝える順序があるだろう、それが悲歌1番最後の連を次に説明することだという考えだったのだが、いざ筆を持って書こうとすると、その前の連、若い死者たちのなすこと、死者たちのなす稀な、普通生きている人間ならばそんな行為はまづしないという行為の列挙の連を説明しなければならないし、その方がよいと思われた。またこの連には、生きているもの、正確にはリルケは生きているもの、生者とは書いていなくて、活き活きしているものたちといっているのだが、それは、本当は生と死はわけることができないから、そのような活き活きしているものという言葉づかいをしているのだが、若い死者たちと、(そのような意味での)生きている者との相違が述べられている。
といったことを、やはり詩の書かれている順番に読んでくる方がよいのではないか、そうして最後の連を読み、そこに歌われている若い死者たちのことに至って、死者の説明をし、そうして、それとの相違を読み取って、それでは、天使はどのような存在かについて話をするほうがよいのではないかと考えた。
しかし、それならば、3連目から若い死者たちが登場するのだから、もういっそのこと、昨日の1連の続き、2連目から一挙に最後の連まで訳して、一度詩の流れを読んでから、最初の天使の問いに向かうのがよいだろうかとも考えた。しかし、そうなると悲歌2番に飛ばなければならないので、また悲歌2番をみな最初から訳するかという考えにもなるのだった。実にむつかしい。わたしの解ったことを、義経の八艘飛びで話しをしても、読者に伝わらないのではないかということが心配になるのだ。
あれこれと考えたあげく、こうすることにした。実は、天使と若き死者たちの違いを説明するためには、リルケが多用し、愛用、愛着しているといっていいあるドイツ語のひとつの言葉の説明をするのがよい、ここから入るのがよいのではないかと思いついたのだ。
(もし、ここから先、このやり方でうまくゆかないことがあれば、それはそのときにまた考えよう。わが意を伝えるために、性急になることは避けよう。ゆっくり行くことにしよう。)
それは、Fruehe、フリューエという言葉です。これは大文字で書き始めれば、名詞で、早い時期、早期、揺籃期、人生の最初の時期(リルケは悲歌の中では人間の大切な時期と考えている)、子供時代、いや子供時代でももっと早い時期の子供の時期、あるいは人生を四季にみたてれば、青春時代という意味にもなりえるでしょう、そのような言葉です。
他方、Fruehe,フリューエには、もうひとつの品詞、副詞としての意味があり、それは、上の名詞の意味から察せられるような、副詞の意味となるのです。副詞ですからもちろん動詞にかかります。
これを何故最初にいうかというと、次のような理由によるのです。
悲歌1番の最後の連の第1行は、次のように歌われています。ここは、若い死者たちとわたしたちとはどこが違い、わたしたちとはどういう人間かを歌っているところでもありますので、まとめて連ごと訳しますが、この若い死者たちと天使たちの相違が、このFruehe、フリューエという言葉、名詞と副詞によって、それぞれの相違が分けられているのです。この相違は、天使という言葉や若い死者たちという言葉相互の中から異なる意味が生まれているのではなく、リルケという詩人の、このFruehe、フリューエという言葉を大切に思い、この言葉に読み取る意味を用いて、天使と若い死者たちの相違を色分けしてみせたということなのです。リルケは、天使は勿論ですが、ほかにも幾つもの、自分で概念化して愛用する言葉を、例えば、既に1連目で出てきた、留まる(bleiben、ブライベン)とか、叫ぶ、叫び(Schrei、シュライ)とか、世界(Welt、ヴェルト)とか、動物(Tier、ティーア)とか、親密な(innig、イニッヒ)とか、観る(Zuschauen、ツーシャオエン)とか、まだまだいろいろ悲歌の中で使っていますが、Fruehe、フリューエは、それらの言葉のひとつです。リルケ概念用語辞典という辞典を編纂することができます。結局、リルケの詩の解釈には、その辞典(紙では実際に存在しないけれども)を使うことになるのです。
「早い時期、人生の早い時期(Fruhe)、揺籃期を動かされ、遠ざけられた人間、奪われた人間たちは、(4連に歌われた若い死者たちのありかたからいっても)、結局わたしたちをもはや必要とはしないのだ。このものたちは、丁度母親の胸から柔らかく離れて成長してゆくように、地上的な習慣から優しく離れてゆくからだ。しかし、それに対して、わたしたちは、かくも偉大な秘密を必要としているわたしたちは、そして、その秘密から、悲しみを以って(悲しみの中から)、このようにしばしば神聖なる進歩、前進が、生まれ出るわたしたちは、この揺籃期を奪われた人間たちなしで存在することができようか、できる筈がないのだ。(その秘密とはどのような秘密かというと)かつてリノスを巡っての嘆きの中で、勇敢な、敢然たる最初の音楽が、干からびた、死して硬直した凝固の中を浸透し、全く満たしたという、あの伝説は、無駄だったのだろうか。(そうではないだろう。)また、ほとんど神のような若者が突然永遠に出て行ったその驚愕し、恐怖した空間の中にやっと、空虚なるものが、今やわたしたちのこころを奪い、慰め、そしてわたしたちを助ける、あの振動の状態へと陥ったという伝説は、無駄であったのだろうか。(そうではないだろう。)」
リルケは、上の訳したように、「早い時期、人生の早い時期(Fruhe)、揺籃期を動かされ、遠ざけられた人間、奪われた人間たち」を、3連で、はじめて呼ぶときには、お前という2人称に呼びかける形で、お前と俺、わたしたちの間では既に知っている、「あの若い死者たち」から、今、その死者たちがざわめく音、声がお前に聞こえてくる。
と、「あの若い死者たち」として歌われています。この一行が、どのような文脈の中で歌われているかは、やはり連を順々に読んでいかなければなりませんし、その理解も、この最後の連の理解には関係してくるのですが、それはまた後述するか、必ずどこかですべての悲歌の連を訳すこととしておいて、話を先へ進めます。
リルケは、4連「あの若い死者たち」を、最後の連で「早い時期、人生の早い時期(Fruhe)、揺籃期を動かされ、遠ざけられた人間、奪われた人間たち」と言い換えているのです。
しかし、正確に理解すると、前者と後者では、やはり違いがあって、後者の言い換えは、もう少し幅の広い解釈をゆるすのだとわたしは考えています。それを考えることは、詩中の人称、わたしたちとわたしのあり方を考えることなのですが、一言で言うと、後者には、二つの意味があって、ひとつは、前者と同じ、若くして死者になった若い死者たちという意味、もうひとつは、人生の大切な揺籃期、子供の時期に、何かの理由で(それはひとによって様々だと思いますが)、死んで生きることを強いられた人間、そのように生きることを余儀なくされて生きている人間たち、死んだように生きている人間たちという意味をも読むことができると思います。そのために、子供なのに、あるい青春であるのに、死について深く考えることを強いられた、そのように考えた人間。これは、実は、リルケ自身の姿ではないかと、わたしは思っています。リルケの伝記的事実をわたしはほとんど何も知りませんけれども。
ここのところは、リルケも悲歌において微妙に筆先を変えるのです。
後者の意味も含む、同じ若い死者たちの言い換えは、ほかにも出てきていて、悲歌6番の2連には、英雄とほとんど同じように似た存在としてある若い死者たちが出てきます。Die fruehe Hinueberbestimmeten、frueheは副詞で、Hinueberbestimmteにかかります。早い時期に、向こう側、彼岸へ行くことが決まっているひとたちという意味です。これは、死んでいるとは限りません。そう決定されているというだけの言い方です。
続いて同じ悲歌6番の3連には、die jugendlich Totenとして、やはり英雄によく似ているとして類似の表現が出てきますが、これは、jugendlichが副詞ですので、Toteにかかって、若くして死者であるひとたちという意味になります。これを早死にして、この世にいないひとたちと一意的にとることは、どうだろうかとわたしは思います。
それから、悲歌10番の最後から2連目にも、die jungen Toten、これは、若い死者たちがあります。
いづれにせよ、この若い死者たちは、生きているのです。そうして、わたしたちやわたしの前に姿を現す、そのような存在です。さて、そのようなわたしたちや、その中のひとりであるわたしとは、一体どのような人間なのでしょうか。
わたしは、上で、揺籃期を奪われた人間というひとたちの解釈のふたつめ、後者の解釈をしているのは、悲歌4番に人形劇のことが歌われていて、そこにいる一人称は、もう人形劇はおしまいだよといわれても、ずっとそこにbleiben、ブライベン、留まって観続ける、そのようなわたしなのですが、これは、悲歌1番の4連目に歌われている、若い死者たちと同じ行いを、奇妙な論理の反転でありますが、留まることで、死者の立場にいるわたしとして、そこにいると解釈することができるからです。生の中にはいないが、その外に、観るものとして、留まるわたし。観るという行為は必ず、なにがなんでも必要であり、存在するべきものだと強く考えて。これは、他面、以下に述べるように、悲しい行為でもあるのだと思います。
もしこのようなわたしという人間の解釈が正しいとしたならば、わたしたちと言っているひとたちも含め、若い死者たちとの関係は、そのような関係であるということになります。
生きた人間であるのに、死者と、若い死者たちと親しく、また、天使をみることに恐怖を感じる人間。
何故天使は恐ろしいと思うのでしょうか。上に訳した悲歌1番の最後の連に歌われているように、またそもそも最初の連に歌われているように、それは自分自身が死ぬことになるからです。ですから、それは死に対する恐怖です。
しかし、冒頭の恐怖はそうであっても、同じ悲歌1番の最後の連では違います。それは、大いなる秘密を必要しているのが、われわれでしたが、しかし、その秘密とは何でしょうか。それが、最後の連の後半にあるふたつの伝説の話です。これらの秘密から、そして悲しみの中から(aus Trauer)、わたしたちの進歩、前進が、生まれると歌われています。ここ、これが、この10の詩篇の全体が、Elegien、悲歌と呼ばれている由縁なのだと思います。わたしたちが悲しむべき、その秘密とは何でしょうか。
このふたつのエピソードは、岩波文庫版の手塚訳にある註釈(99ページ)によれば、いづれも、リノスという神的な、美しいひとりの男性の話であるようです。その深い意味は、リノスという美しい青年に関する嘆き(ここで既に悲歌10番が予定されているのです)の中にあって、音楽の力が生を新しくしたこと、それから、リノスが若くして死ななければならなくなり、そうして死んだという行為から、複数2人称のわたしたちにとって、どんな恩恵が生まれるかが歌ってあるというところにあります。
この青年が永遠にその空間を去る、すなわちこれが死ぬということを意味しているのでしょう、しかし、そのときその空間が驚いて(リルケの詩では、空間も生きています。眼に見えないものーこの表現も悲歌中のあちこちにunsichtbar、ウンジヒトバールとして出てきますがー)との交流)、そうして初めて、わたしたちは慰めを得るのです。このような生のありかたが、わたしやわたしたちの死に対する恐怖を克服するために語られているのだと思います。
上で空間が驚く、恐怖心を抱くと歌われていますが、これは原文は、im erschrockenen Raumというところですが、erschrockenenは、動詞erschreckenの過去分詞、とこうしてみるとお分かりかもしれませんが、schrecklich、1連目の冒頭の、天使は恐ろしいと歌ったときの、恐ろしい、schrecklichと縁語なのです。リルケは、この驚く、驚き、恐怖するこころ、恐怖心に深い意味をみたのだと思います。単に天使が恐ろしいというだけではないのです。わたし、わたしたちには、恐ろしいという恐怖心がおきますが、それは既にわたしやわたしたちにとっては、身を滅ぼすことによってなる何か新しいことへの感情でもあるのです。その理由は、以上述べてきた通りです。
さて、これが、天使とわたしまたはわたしたちの関係です。
それでは、若い死者たちと、天使の関係はどうなっているのでしょうか。
これには、悲歌2番の1連目と2連目、特に2連目を考察しなければなりません。
2連目の最初には、1連目の最後でわたしが天使に向かって、お前たちは何者なんだと問い、それに対する答えを自分で答えて、2連目の最初は、次の言葉で始まっているのです。
Fruehe Geglueckte
天使とは、その人生の早い子供の時期、揺籃期に、若い死者たちのようにそれが奪われるのではなく、反対にうまく行ったものたち、Geglueckteは、gluecken、成功する、うまく行く、栄えるという自動詞の過去分詞からつくられた名詞ですが、そのように幸福が約束されているひとたちという意味です。天使がひとだとして。最初のFrueheは、今日上のどこかで説明したように、これは副詞で、Geglueckteに掛かるのです。
この、若い死者たちと対をなす言葉を、手塚訳では、
「おんみらこそ創世の傑作」
古井訳は、
「黎明に生まれ合わせ、御身たち」
となっています。
手塚訳では、Frueheを創生ととったのです。古井訳は、手塚訳と同じように宇宙を創世するときのはじめにうまくいったものたち、生まれ合わせた幸せ者という意味で訳しています。
わたしは、散文的な人間なので、この呼びかけの最初の言葉を単純に、悲歌の中でのFrueheの使い方から、以上のように理解をしましたが、ほかのあちこちにあるFrueheの話はまた別の文脈ですることにして(なにしろリルケの言葉は網の目のように互いに関係づけられている)、さて、悲歌2番1連、2連の天使の話は、また次回といたします。