第7週:1904(1904年)by Guillaume Apollinaire(1880-1918)
【原文】
Nach Straßburg hat ich mich begeben
Zu Fastnacht 1904
Ein Opernsänger hockte neben
Mir vorm Kamin im Nachtquartier
Der sprach nur vom Theaterleben
Die Kellnerin ihr Haar war rot
Trug auf dem Kopfe einen schönen
Zart rosa Hut ach Schöneres bot
Nicht Hebe der die Götter frönen
O Karneval o Hut so rot!
Zu Nizza Rom und Köln im reichen
Konfettischwall und Blumenflor
Sah ich o Karneval dein Zeichen
Mein König reicher als zuvor
Ein Krösus Rothschild und dergleichen
Und Gänseleber ass ich dort
Und delikates Reh zum Abend
Als Nachtisch Torte usf.
Trank etwas Kirsch um mich zu laben
Nur dich gabs nicht an diesem Ort
【散文訳】
シュトラースブルクへと、私は赴いた
1904年の謝肉祭の時だ
オペラ歌手の男が、私の傍に蹲つてゐた
夜営の陣地の中での、暖炉の格子の前で
オペラ歌手は、ただ劇場生活のことだけを語つた
給仕の女がゐて、その髪は赤毛だつた
頭に、美しい
柔らかい薔薇色の帽子を被り、ああ、もつと美しいものを与へてくれた
神々が(その女の)奴隷であるやうな女を持ち上げるな
おお、カーニヴァルよ、おお、帽子よ、そんなにも赤い!
ニッツァ、ローマ、そしてケルンでは、豊かな
(謝肉祭の時に投げ合ふ石膏の)小球や紙片の洪水と、花々の満開を
私は見た、おお、カーニヴァルよ、お前の印よ
私の王は以前よりも豊かになつてゐる
一人のクレーズス王、ロスチャイルド、といつた類々は
そして、鵞鳥の肝を、私は其処で食べた
そして、美味な野呂鹿の肉を、夕時に食べた
食後のデザートには、トルテ等々を
一寸キルシュ酒を飲んだ、元気恢復のために
お前だけが、この場にゐなかつた
【解釈と鑑賞】
この詩人は、言はずと知れたフランス語の詩人です。
日本語のWikiには、次のやうにあります。:
「ギヨーム・アポリネールは、イタリア出身のポーランド人の詩人、小説家、美術批評家。本名ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ。 印象派批判主義「キュビスム」の先導者の1人。主な作品に『ミラボー橋』がある。 "シュルレアリスム"という語は彼の作品から生まれた。」
年齢を見ると38歳で亡くなつてをります。若い死です。しかし、その生きてゐる時間に何を成し遂げようとしたか、成し遂げたかといふことがいつも、私たちには大切な問ひなのではないでせうか。
第一連を見ると、これは軍務に服してゐた時の詩なのかも知れません。
原文は、コンマはなく、名詞が羅列されてゐますが、それは分けて訳しました。
最後の一行を書くために書いた詩ではないかと思ひます。
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