2015年11月21日土曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く30:再帰的人間像と三島由紀夫

再帰的人間像と三島由紀夫


目次

1。再帰的な人間とは何か
2。『Vision Prosa-Skizze』「幻想 散文による素描または散文自体を素描したもの」の素描
3。『Vision Prosa-Skizze』(『幻想 散文による素描または散文自体を素描したもの』)

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ここに、私が再帰的な人間と呼ぶ人間の一人であるドイツの文豪トーマス・マンの18歳の作品『Vision Prosa-Skizze』(英語ならば『Vision Prose-Sketch』)について、この作品が何なのか、何を語つてゐるのかを簡潔に述べることにします。

第2章で述べる此のマンの小品、どころか極小品といふべき作品についての解説は、このまま、同じ再帰的な人間である三島由紀夫にそのまま通じてゐます。

まづ、再帰的な人間とは何かについて、既に安部公房の世界で、『安部公房の変形能力17:まとめ ~安部公房の人生の見取り図と再帰的人間像~』(もぐら通信第17号)と題して論じてをりますので、これより引用して、三島由紀夫の読者のあなたに、お伝へ致します。

以下は、安部公房に拠つて再帰的な人間像をお話ししたものですが、しかし、これが像である以上、そのまま三島由紀夫にも通用してゐることに、三島由紀夫の読者は、読みながら気づくのではないでせうか。

安部公房といふ名前を三島由紀夫に置き換へて、またその他の言葉を、安部公房の世界の言葉ではなく、三島由紀夫の世界の言葉に置き換へて読み直してみると、三島由紀夫が一体どういふ人間であるのか、即ち再帰的な人間がどういふ人間であるのかが、よくお解りになる筈です。

二人はこの普遍的な人間像を介して、安部公房の言葉を借りれば、あらゆる接点を共有し、さうしてそれが全てが反対に裏返つてゐるのです。

三島由紀夫と安部公房は、それほどにお互ひ相補的な(complementary)な関係にあるのです。合わせ鏡の世界に棲む住人として。



1。再帰的な人間とは何か

「III 再帰的人間像

安部公房は、再帰的な人間です。A recursive man。

再帰的な人間とは、どのような人間かをお話します。

しかし、言語、言葉で説明をする前に、一体再帰的人間とはどのような姿をしているのか、それをGoogleの画像検索で見てもらった方がいいのではないかと思いましたので、その画像、いや、図像をお目にかけてから、説明に入ります。Recursive manで検索をしました。(日本語で再帰的な人間と検索しても、ほとんど何もヒットしません。これは、一般的に言って、この用語と概念に関する意識が、日本人には極めて薄いことを証明しているのではないかと思います。)



これらの図像に共通していることは、自己が自己から分岐して行くこと、そうして再び自己に回帰して行く事、即ち、合わせ鏡の世界であるということ、即ち自分の部分が自分の全体をいつも含んでいるということです。

再帰的な人間は、合わせ鏡の世界、合わせ鏡のネスト構造(入籠構造)の世界に棲んでいるのです。ロシアの人形のマトリョーシカを思い出して下さい。



従い、この人間は、他者を参照し、引用をすることをしません。いつも自己を参照し、言葉もまた自己のテキストから引用を繰返すのです。普通の人間は、自分以外の人間の真似をして生きておりますが、再帰的な人間は、他人の真似を一切しません。つまり、自分自身を真似るのです。その限りにおいて、普通の人間から見れば、この人間は、孤独であるということになり、奇妙な人間だということになるでしょう。

また、合わせ鏡ということから、この人間は、物事の対称性ということを大切に致します。

わたしの人生において、わたしは、何人かの再帰的な人間を知っております。わたしの知っている再帰的な人間の名前を挙げるとすると、次のような人間たちがおります。

アイヒェンドルフ、ショーペンハウアー、トーマス•マン、ジャック・デリダ。それから、最後に小さな文字で書けば、今ここでこのようにこのような文字を書いているこの私自身(私自身という言葉が既に再帰的です)も、その人間の一人です。

確かに、上の図像の人間達は、父親や母親に似ているのではなく、人が似るようなその人の好きなひとに似ているのではなく、異様であり、異形であり、普通ではありません。それはいつも自分自身に回帰して、自己を参照するからです。言語の視点で言えば、再帰的な人間とは、自己の内部以外からは、一切言葉を引用しない人間なのです。

ショーペンハウアーというドイツの哲学者は、その主著『意志と表象としての世界』では、ひとつの原理、即ち世界は意志であるという原理から、宇宙にある森羅万象を説明しました。その宇宙は、宇宙の根底にある意志が、自分自身を観る為に、その意志の最高の段階の生物として人間を生み、人間が宇宙を観じるとは、意志が自分自身を観じることであるという、そのような合わせ鏡の宇宙なのです。意志を純粋に認識するそのよな主体(subject)を、ショーペンハウアーは、鏡と呼んでいます。そうして、ひとつの原理に絶えず戻り、その原理を何度も何度も反復しながら、森羅万象を説明します。これは、実に面白い本です。哲学は、人類最高の娯楽であると、わたしは思います。

ジャック・デリダというフランスの哲学者は、その英文のテキストを読むとよく解りますが、文字として、用語として、文がいつも再帰的です。再帰的とは、いつも同じ発想、同じ言葉が繰返されて語られるということを意味しています。同じことを語りながら段々と話が遷移し、言葉の概念に対する理解と認識が深まって行くのです。(安部公房の小説の世界によく似ています。)上の図像の持つ意味のひとつが、繰り返しです。ジャック・デリダのテキストも実に面白いテキストです。哲学は、人類最高の娯楽であると、ここでも、わたしは思います。

トーマス•マンの小説も、同じ文、同じ章句が繰り返し、その小説中で繰返され、話の筋の中、時間の中で、その変わらぬ言葉が繰返されて行く度に、その意味が変容し、全く別の意味を持つように、その小説が作られて、その変容に読者は胸を打たれるのです。そればかりか、後年に書かれた小説は、前に書かれたの小説の一句、一文を、小説を跨いで引用するのです。また、トーマス•マンは、その20代に、自分自身のグロテスクな、奇怪な戯画として、そのような自分自身の姿を傴僂(せむし)の、成長の止まった小男として描き(安部公房ならば実存といったことでしょう)、『小男フリーデマン氏』という傑作を書いております。

安部公房自身よる、作品を跨いでの同じ語句の引用の例を挙げましょう。これは、意識的な引用というよりも、無意識の引用だと思いますけれど。いつも同じ語彙、同じ形象(イメージ)で以て、その世界を構成するということです。
『燃えつきた地図』:
「車の流れに、妙なよどみがあり、見ると轢きつぶされて紙のように薄くなった猫の死骸を、大型トラックまでがよけて通ろうとしているのだ。」(全集第21巻、311ページ)

『密会』:
「女秘書は腹立たしげに、地面から拾った小枝の先でその布(筆者註:布団になった溶骨症の少女の母親)のかたまりを引きずり出すと、力まかせに振りまわした。車に轢きつぶされた緋色の猫の死骸のように見えた。」(全集痔26巻、123ページ)

また、『箱男』の最後の救急車のサイレンと、『密会』の最初の救急車のサイレンを挙げてもよいと思います。他にもこの種のことはあちこちに散見されることと思います。

さて、アイヒェンドルフの詩もいつも同じものが歌われています。森、狩り、狩人、狩りの笛の音、城、河、天(大空)、雲雀、春等々、いつも詩の要素は変わりません。この芸術家の書く小説も実はそうなのですし、その詩の中には実にシュールレアリスティックな詩が何篇もあります。その詩を18世紀から19世紀にかけて、この時期に書いたということは、わたしは素晴らしいと思っております。時間という一次元の中に芸術を編成する文学史の愚かさをこそ、ひとびとは知るべきであると思います。この詩人も、時間を空間化した芸術家のひとりです。こういう芸術家に、時間を適用して、時間の一次元の流れに従えというあなたの命令は、通用しないのです。何しろ、その世界には時間が存在しないのですから。

これらの特徴を一言で言えば、再帰的人間は、mannerismの人間だといってもいいのです。水戸黄門や遠山の金さんというお話のような、いつも同じひと、同じ設定、同じ話の筋が語られる、マンネリズムです。

安部公房もマンネリズム、或いはマニエリスムの作家なのです。安部公房は前衛的な、アヴァンギャルドの作家だったのではないでしょうか。しかし、安部公房が再帰的人間である限りにおいて、わたしは、その通りだと、そう思います。そうしてみれば、確かに、安部公房の話は、いつも同じではないでしょうか。このように言う事は、安部公房の諸作品の冒瀆でしょうか。

ショーペンハウアーは、再帰的人間として、何かに成るということは実に恐ろしい事だと正直に、その主著の中で、言っております。つまり、自分自身を参照する人間が、他人の真似をしないということの意味が、ここにあります。普通は、自分以外の人間の真似をし、他の物に容易になったりすること(典型的には役者のように)、それが普通であり、平然と行われ、罪の意識もないというのに対して、この人間は、自分が誰かに似ていたり、誰かになったり、何か自分と別のものになること、誰かの、何かの役割(機能)を演じることには、恐怖と罪の意識を覚える人間だと言い換えてもいいでしょう。他者への通路を見つけることが実に難しいと、普通の人以上に感じ、考える人間なのです。そういう人間である筈の安部公房が、演劇の世界を切り拓いたというそのこころの根底には、時間の空間化があり、即ち時間の変化に対する恐怖があるのであり、時間の中で演ずる人間同士の役割を受け容れることに対する恐怖心があるのです。この理由によって、安部公房の演劇は、再帰的な人間ではない人間の書く演劇とは、全く異質なのです。

こうして、段々と安部公房に近づいて来たでしょうか。もう少し、安部公房のマンネリズムについて語ります。いつも安部公房の小説で同じ要素を挙げることにします。

(1)主人公は旅をする。空間から空間へ。壁からカンガルー・ノートまで。主人公は旅人であるので、その空間にあっては異邦人である。主人公の意識は、どんな細部にあっても旅をしている。儀式化された形式から抜け出して、その意識が連続している。これがこのまま、安部公房の小説の細部の描写につながる。これが安部文学の魅力の源泉。こう書いてくると、細部が安部公房の作品の多様性を保証しているということがわかります。
(2)細部を描きながら、登場人物の関係の変化を描いてゆく。時間は経過しない。登場人物の関係が変化するだけです。これが、安部公房の言う時間の空間化ということです。
(3)登場人物達が、お互いに役割(機能)を交換することができる。
(4)役割の交換、即ち変装、変身ということから、いつもどこかで、カーニバル、祭典、祭りが意識されて、この意識が作品の底流に流れている。
(5)そして、この祭典の意識は、いつもこれを裏側から眺める、陰画の祭典である。
(6)従い、主人公はいつも、アンチヒーロであり、話のクライマックスは、いつもアンチ•クライマックスである。
(7)主人公は、いつも帰って来る。最初の場所に帰って来る。これは安部公房の位相幾何学の思考と感覚としても、そうである。
(8)主人公は、いつも自己の投影、反照を向こう側に、相手側に見る。これは、「もぐら感覚18:部屋」で論じた通り、反照として窓(鏡)の向こうに自己の投影を見るということです。そう意味では、安部公房には、最初から、又は最初には、他者はいないのです。いつも自己と、鏡に映っている自己の姿です。その仮象、夢、しかし実在の夢、非現実の現実の自分自身を自己と思う以外にはありません。
(9)その他のいつも同じ諸要素には、思いつくままに挙げると、以下のものがあるでしょう。

   夜又は闇
   無名の主人公
   緑の色
   笛、口笛、草笛
   夜
   方舟
   ほうき隊の老人
   便所や便器
   成熟した女
   その脚と、特に膝小僧
   偏奇な少女
   贋の父親、贋の魚、その他の贋の人物と物事
   切符
   部屋
   窓
   反照
   自己承認の問題
   閉鎖空間
   閉鎖空間からの脱出というプロット
   外部と内部の交換(次元転換)

まだまだ、あることでしょう。

(10)安部公房の作品は、水戸黄門や遠山の金さんのお話と同じです。これ
らの主人公は、通俗的なわたしたちの心理が求めるところに従って、最後には正義が勝ち、悪を懲らしめるわけですが、しかし、普段は別人に変装し、世に隠れて生きているところが全く同じです。安部公房の登場人物たちは、同様にみな同じ面の上に(水戸黄門や遠山の金さんならば世間という庶民の平面の世界の中で)同じ価値を持たされて並んでいて、安部公房の世界の登場人物たちは、インターネット時代の用語を使えば、みなsuperflatな世界に住んでいます。(これが普通の社会人の垂直構造になれている感覚からみると、その作品がシュールレアリスティックに見える理由です。)その世界には絶対的な正義はないので、お裁きがないのです。従い、その代わり、告発者が被告になったり、被告が告発者になったり、登場人物たちは、お互いの役割を交換し、そうすることによって、互いの関係を変化させることができます。医者が患者になったり、患者が医者になったり。船長が船員になったり、船員が船長になったり。

このような役割の交換を、人類学の用語で、communitasと呼びます。これは、人類学者の観察によれば、社会が流動化して、大きな変化を経験しているときに生まれる儀礼である(これも儀礼になりえる)と説明されています。Hatena Keywordから引用します(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A5%E0%A5%CB%A5%BF%A5%B9):

「【communitas】スコットランドの文化人類学者ターナー(Victor Turner, 1920-83)が提唱した概念。
通過儀礼(イニシエーション)の中での人間関係のあり方を意味する。
身分、地位、財産、男女の性別や階級組織の次元など、構造ないし社会構造の次元を超えた、あるいは棄てた反構造の次元における自由で平等な実存的人間の相互関係の在り方と定義されている。」

文化人類学者のこの観察が正しければ、安部公房の意識は、いつも変化の中に自分自身をおいていたということになるでしょうし、その限りにおいて、安部公房は終生前衛の、アヴァンギャルドの作家だったことになり、他方、その世界の一定した諸要素の機能化によって、その世界は構造を以って安定しており(或いは逆に、構造があるので、諸要素の機能化が成り立つというべきでしょう)、偉大なるマンネリズムの作家ということができるでしょう。この二つは、安部公房の中では、少しも矛盾しておりません。

(11)さて、このcommunitasということからも、従い、安部公房の主人公た
ちはみな、普通に固定した社会だと思っている社会の法律の外に生きている人間たちであるということになります。それは、安部公房の実存の考え、即ちその人間の未分化の状態という考えからいっても当然のことでしょう。法律の外に棲んでいるということ、このことが読者に安心感を与え、読者を魅了するとは、なんということでしょうか、読者というものは。

さて、図像ではなく、言語の世界に戻って、言葉で再帰的な人間を定義してみましょう。

Webster Onlineによれば、

Definition of RECURSIVE
1:  of, relating to, or involving recursion
2:  of, relating to, or constituting a procedure that can repeat itself indefinitely

そして、Oxford Online Dictionaryによれば、

recursive
Pronunciation: /rɪˈkəːsɪv/
adjective
characterized by recurrence or repetition, in particular: 
Mathematics & Linguistics relating to or involving the repeated application of a rule, definition, or procedure to successive results: this restriction ensures that the grammar is recursive
Computing relating to or involving a program or routine of which a part requires the application of the whole, so that its explicit interpretation requires in general many successive executions: a recursive subroutine

とありますので、日本語でrecursive manを定義すれば、

再帰的人間の定義

再帰的人間とは、連続的に起こる結果に対して、いつも繰り返し、同じ規則、定義、又は手続•手順を適用する人間、或いは、その人間の一部が、常にその人間の全体を含んでいる人間である。

ということになるでしょう。

確かに、この定義は、最初に図像で掲げた再帰的な人間達の姿を言葉で定義したものになっています。

しかし、この定義は、何故再帰的人間はそうなのかということを説明しておりません。

ここから眼を転じて、安部公房の実存の概念に眼を向けることにしましょう。そうして、この概念と再帰的な人間の関係を考えるのです。この概念を、今迄も、わたしは何度も再帰的に繰返して引用して来ました。

安部公房の実存の考えは、「実存は本質に先行するという実存主義の基本概念、本質というのは一つの規定観念であり、その規定作業の前にもっと未分化の実存が先行しているという考え方」とある、この10代で既に至った「未分化の実存」という理解と認識にあります(『錨なき方舟の時代』という対談。全集第27巻、167ページ下段。1984年。安部公房、60歳)

ここに戻って、考えましょう。この発言は60歳のときのものですから、安部公房は10代のときからずっと、このように考えて来たのだということがわかります。
この考えが、再帰的人間を生んだのだというのが、わたしの仮説であり、説明です。いや、そのような人間だったからこそ、実存の概念をそのように捉えたのかも知れません。

実は、これ以外の理由で再帰的な人間が生まれるということがあるのかも知れませんが、どうもわたしには、これ以外には思い当たる節がありません。これは、実存というと新しいようですが、要するに、人間が未分化の状態のままでいることを選択する、それに固執するということなのです。このような人間は、どんな時代にもいると思います。上の挙げた詩人や作家や哲学者はみな一様に、そのような人間に、わたしの眼には見えます。

さて、一人の人間が未分化であるとは、どのようなことでしょうか。まづ、一義的には、人間が分化するとは、性的に男になったり、女になったりすることであり、その次には、社会的な役割(機能)を受け容れて、その役割を演ずることであるでしょう。曰く、家族ならば、父親、母親、弟、妹、兄、社会においてならば、上司、部下、管理職、社長、医者、患者、看護婦、魚屋、指物師、大工、金物屋、と、こう名前を挙げて来ると、これらはすべて社会的な身分や職業や地位の名前になります。

未分化であるということは、これらの職業や地位を我が身に引き受けないということです。ですから、未分化な人間を素描致しますと、それは、

1。隠者である。
2。世俗のものの一切合切を喪失している者である。
3。無名の者である。
4。無役の者である。
5。無知の者である。
6。無能の者である。
7。性的に未熟である。
8。素っ裸である。
9。主観と客観、subjectとobjectの分化する以前の場所にいることができる人間である。

10。このような人間は自分自身のことを語ることがほとんどない。対象を語ろうとすると、ひとりでにそれを変形させて自分のものではないものにしてから、再帰的に自分自身に関係させ、還って来る様にして語るのです。このことがなかなか説明が難しく、理解されることが少ないところです。このことを、再帰的でない人間に理解してもらうには、未分化の人間には、分化した自己がないので、自己については語り得ず、自己以外の対象について語り、それを自己のものに変形させるのだというと理解されるでしょうか。

11。このような人間にとって、最初から世界はいつも混沌として見える。迷路に見え、迷宮に見え、謎が渦まいているように見える。社会の秩序を全く信用していないのです。

12。そのような言葉にならない混沌に言葉を与え、また与えないことが能力となり、仕事となる。

13。未分化ということから、その人間は、法律の外に生きている人間である。

14。従い、無法者であり、安部公房が自分乗っていたクライスラー製のジープの名前がrenegadeであると言って喜んだように世間に対する裏切り者であり、無法者である(山口果林著『安部公房とわたし』183ページ)。

15。法律の外に生きている人間という意味では、犯罪者又は犯罪者に相当する人間である。(トーマス•マンは、安部公房の様に、繰り返しこの種の人間を描いている。)

16。未分化ということから、分化した人間(大人、社会人)が現実だと思うものを、非現実だと思い、社会的な分化した人間が非現実だと思うものを現実だと考える、社会からみると、倒錯した人間である。このことを、言語との関係で、トーマス•マンは、私の言語は、あなた達の言語ではないとはっきり言っています。

17。未分化ということから、それは、上の図像で合わせ鏡の世界だと説明をしましたように、もともと自己完結して世界であり、再帰的な人間は自己完結した人間なのです。『方舟さくら丸』のユープケッチャという虫は、自己を、カフカの『変身』の主人公ではありませんが、人間ではなく、虫けらの虫として描いた自画像なのです。安部公房自身が、リルケのような人非人として、非人間的な人間として生きよう、そうして詩人から小説家に、詩人のこころのままに変身を遂げようという覚悟は、この時期を理解するための重要性を既に指摘した『牧神の午後』に詳しく、安部公房は書いております。

18。再帰的な人間は、このように自己完結した世界に棲んでおりますので、本来的に、そもそも他者を必要と致しません。他者との意思疎通の通路を、安部公房はどの作品でも考えましたが、それは、常に二重の意味を持っております。

(1)ひとつは、本来自己完結していて、他者への通路を必要としないのにもかかわらず、それを自己否定して、他者と意志の疎通をしようとしていること、これがひとつ(誰にも知られない自己の内部の自己否定)。
(2)もうひとつは、この(1)の意識の上に立って、その上で、意志の疎通を他者と図る苦労をしているのだという、やはりこれも再帰的な人間でない人間には全く知られない苦しみ、これがひとつ(他者との関係での陰画の意思疎通)。

最初に生きるところの、生きるために立っている前提が、分化した社会的な人間が立っている前提、即ち他者がいて、その他者と言語を使って容易に意志疎通ができるという前提とは、全く逆であるのです。

安部公房は、この再帰的な人間の持つ二重感覚を『終りし道の標べに』の「第三のノート―知られざる神―」中で、高という登場人物の口を借りて、「二重感覚」とか、「二重の判断や意志」とか、また「二重の意識」とか、そして「あの感覚」と言わせております。この登場人物は、父親がカトリックの副牧師であったという環境に居た事から「そういった環境の中で殆ど外界との交渉なしに育てられてきた」人間であり、また故あって探し求めていた房大爺という人間が、自分と同じ「あの二重感覚」の持ち主であることに気付き、その「非人間的なものに打たれ」ます。その次に、「奴(筆者註:房大爺のこと)を一つの人間の限界であり、偉大の建設者だなぞと思い込んだのだ。だがそれと同時に、何故か奴が憎くてならなくなって来た。興味を持てば持つほど憎しみが強くなってくるんだ。」と、高をして、そのように、一種の近親憎悪の感情を言わせています。

恐らく読者は、この高のいう「あの二重感覚」といっていて、この登場人物が「あの」と指示するように既知のものとして言っていることに奇異な感じを抱き、上のように考えることがなければ、この小説を読んでも「あの二重感覚」がテキストからは、よく解らない事でしょう。

(この、再帰的人間の自己否定的な二重感覚を普通の人間は持っておりませんので、安部公房を論じると、何かいつも隔靴掻痒の言となり、何か安部公房という硬く難しい皮の表皮を引っ掻いているようなもどかしさがあり、論者のどの言を読んでも、安部公房の本質に至ったという実感が乏しく感じられがちなのは、そのためなのです。)

この二重感覚は、そのまま安部公房の贋の感覚となって形象化され、贋の父親や、贋の魚、その、贋という言葉は冠せられませんが、例えば『方舟さくら丸』に出て来る、贋の軍人たる副隊長、その他贋の船長、贋の船員、贋の船、その他諸々の安部公房の創造する贋の感覚と登場人物たちの創造の源泉になっております。

この小説の高と主人公の対話を読むと、安部公房が自己完結的な再帰的な人間としての弱点は、英雄崇拝であると考えていたことがわかります(全集第1巻、363~373ページ)。それは、自己完結した、他者を本来必要としない合わせ鏡の世界に棲んでいての、一番の弱点は、自己陶酔的な、自己愛の、通俗的な英雄の即ち自己の崇拝だからです。これを、この自己の最大の弱点を、安部公房は生涯自己否定として否定し続けたことは、作品においても、社会的事象においても、またその言語論においても、安部公房の読者ならばご存知の通りですし、また何故三島由紀夫と、安部公房曰くすべての接点において正反対のふたりであるにも拘らず(「彼との接点は、全部うらがえしになっている。」全集第29巻、73ページ下段)、その対談にあっては、肝胆相照らす、腹蔵のない親しき友であったことが(例えば、「二十世紀の文学」という対談、全集第20巻、55ページ)、お解り戴けることと思います。

こうして考えて参りますと、上で言及したように、1973年の『箱男』から、三島由紀夫の市ヶ谷での割腹自殺を契機に、安部公房はリルケの純粋空間の世界に回帰したという仮説は、十分な意義と意味を有するものだと、わたしは考えます。(リルケの最晩年の傑作『オルフェウスへのソネット』の第2部のIVやIXの詩は、時間の無い純粋空間と鏡を歌った詩となっていますが、これはまた後日の読解として、稿を改めて、お話致します。)

と、思いつくまま、連想するままに列挙すると、このようになるでしょう。さて、更に、

19。この実存のあり方は、このまま安部公房の言語論になり、哲学的な理解 と認識の源泉になっています。つまり、自分自身が未分化の状態にありますから、文法の世界で、主語と述語に入れるべき言葉が、そのものと、それ以外のものになる(分かれる)ことに対する強い抵抗と疑念があるのです。この抵抗と疑念から、安部公房の哲学的な思索能力や譬喩(ひゆ)に関する能力が生まれます。

20。そうして、このことから、いつもそこに帰って、どのようなジャンルや分野や領域の物事であろうとも、それらの領域での物事をどれも同じように理解することができ、それらについて、同じ発想で、多彩な言語表現をすることができるという能力を獲得することができています。

これが、安部公房が多ジャンルに亘って芸術活動をすることのできた根底にある能力であり、その理由です。実存。未分化の実存です。実に単純な事実です。

また、こうも言うことができます。

21。再帰的な人間から、再帰的でない人間をみると、後者は何ごともすべて忘却の中で生きていると見えるのです。忘れていることを忘れていると思っていないで、それが現実だと思い込んでいる。忘れたことを本当には思い出すことがない。再帰的人間は、世間の人たちが思い込んでいることと全く逆のことを世間に観ているのです。

22。上に名前を挙げた再帰的な人間は、みな多分一様に10代で何らかの喪失を体験しており、それと裏腹のヴィジョンを観ているということ。安部公房の場合には、このヴィジョンは、20歳のときの論文『詩と詩人(意識と無意識)』に詳述されています。Visionというものは、物理学の世界でならば、数式で表すことのできる原理のことです。アインシュタインの E = mc2というように。アインシュタインの方程式は、e, m, cの3つの要素からなっていますが、安部公房の要素は、物質の世界ではなく、人間の世界のことですので、「もぐら感覚18:部屋」で論じたように、部屋、窓、反照、自己承認の4つの要素でなっています。4つ目の自己承認が、人間的な要素です。人間は物質ではありません。安部公房の場合は、この4つの要素を、外部と内部の交換という原理によって説明したということです。外部と内部を交換することで、宇宙が生まれ、ものごとが生動し始め、詩人は次元転換(外部と内部の果てしない交換)を通じて、究極の反照(第三の客観)というvisionを観ることができるのです。

23。従い、visionを観た再帰的な人間は、この世の時間の中で、そのvisionの正しさを証明するために生きる。それに命を賭けて生きるということです。

24。このヴィジョンは、「小さいが、完璧なもの」(トーマス•マン18歳の作品『Vision』)として一度忘却された記憶の中から、現実的な夢として、即ち生きたものとして浮かんで来ます。安部公房は小さきものを大切にしました。この場合、この記憶の中から浮かんで来る小さなものは、既に過去の時間の中にあるものではなく、時間を脱した、そういう意味では空間的な存在(10代から晩年に至る迄、安部公房は存在象徴またはシンボルと呼びました)になっています。この記憶から浮かんで来る「小さいが、完璧なもの」に対して、安部公房は、性愛の感情、倒錯的なエロティックな愛情を持っていたものと思われます。つまり、執筆して、作品を創造するときに、そのような倒錯的なエロスを感じていたということです。

25。繰返しになりますが、再帰的人間は、いつも自分自身に帰ってくる。従い、この人間の時間は、社会や世間に棲む人間達の時間とは異なり、直線ではなく、循環する時間となっている。その戻って来るときには、正確には同じ場所ではなく、積算で一次元上の同じ場所に戻って来る。つまり、再帰的な人間は、いつも何かを統合しようとしているのです。

26。21のこの社会に対する倒錯性が、いつも世間の人たちには理解されることが難しい原因になっていると思われる。このことの深い意味を知らなければ、読者はいつも、言葉の表面をなぞって安部公房の作品の上っ面から内へと入ることのできないもどかしさを感じる続けることになります。勿論、安部公房作品の解釈は多様であって構わないわけですけれど。

27。23との関係で、言語に関して言えば、再帰的人間は、言語組織(作品)というヴィジョンが恰も生命を持っているかの如く、自己増殖するという考えと実感を持っています。平俗な言い方をすれば、言語組織(作品)に命を賭けているということになります。自己の個人的な人生に興味はなく、自己の創造する再帰的な世界こそが、自己の生命の宿った組織だという考えです。しかし、言語組織(作品)は、これらの再帰的な人間の思いとは無関係に、また無視するように、ひとりでに成長し、自己増殖をして行きます。

以上が、大体、再帰的人間の特徴であり、その素描です。

こうして考えて参りますと、安部公房の呼んだ「閉鎖空間」としての社会は、再帰的な人間の観る合わせ鏡の世界であり、従いその社会も対称性を備えており、そこからの脱出を図ることを、人間の社会の根底にある存在からそもそも実行しようと考えたのが、安部公房であるということになるでしょう。安部公房の書いた小説の構造は、次章でお話致します。

安部公房全集に目を通しても、どこにもこの再帰的な人間、再帰的という用語が、安部公房の筆や口からは見当たりませんので、安部公房自身も再帰的な人間であり、世界の文学や哲学の世界に同じ仲間がいるとは明瞭には意識していなかったのではないかと思います。その言語論から、かろうじて、カフカやカネッティを自分の同類と観たのです。勿論、この安部公房の見立ては、間違ってはいないのではないかと思います。ああ、それから、ルイス•キャロルという『鏡の国のアリス』を著した、安部公房の好きな数学者の名前も挙げることに致しましょう。

さて、日本の文学者で、安部公房と同じ再帰的人間を挙げると、埴谷雄高の名前を挙げることができます。

わたしがわたしであるということを言語で言うことができない、言えば同義語反復になってしまうことを嫌い、そのように人間と宇宙が出来ていること、即ち、わたしが未分化であると言語で言う事が出来ないこと、これが実に不愉快であるという考えに発して、埴谷雄高の書いた『死霊』という作品の文体、あの異様に長く、ネスト構造(入籠構造)の合わせ鏡で自分自身の姿と意識を観ている言葉の表現は、埴谷雄高が再帰的人間であることを示しています。

この作家が、安部公房を最初に認めて、安部公房が世に出たということには、やはり相応必然の理由と機縁があったと考えるべきでしょう。

さて、安部公房の最初の観念と思想の世界での喪失体験は、リルケに学び、その現実的な一家の長男としての喪失体験は、父の死であったと書きました。安部ねり著『安部公房伝』(同書51~52ページ)によれば、後者のときに書いたのが、「笑い」と題された『無名詩集』の最初に掲げられた詩です。

そうだとすれば、この詩を最初に措き、最後の詩として「感傷」と題した詩を措いて構造化した『無名詩集』に隠された安部公房の喪失のこころと体験の意義と意味を、最初と終りのふたつの地点にたって、二つの詩を読み合わせることで、わたしたちは、その喪失による物事の、安部公房にとっての抽象化の意義と意味を、従い真の意味で『無名詩集』という文字通り無名の詩集の価値を推し量ることができるでしょう。このような『無名詩集』の解読は、稿を改めたいと思います。


IV 再帰的な人間の書いた小説の構造




この図像も、recursive manでGoogleの画像検索をして得た図像です。

これは、筆を持って描いている図であるから、一層よくお解り戴けるのではないかと思いますが、安部公房は、このような意識で小説を書いたのです。

この構造を明確に意識して文字にしたのは、1973年の『箱男』からではないかと思います。勿論、小説としてのその最初の試みは、最初期の『白い蛾』という作品に見ることができます(全集第1巻、211ページ)。話の中に話をこしらえるという構造化の試みです。

『箱男』の手記の話者は、次の様なネスト構造の中の、a, b, c, d, eというそれぞれの次元に居て、話をしていたということなのです。一番最上位の次元にいつも固定して居るのが、19世紀の写実主義の、そして我が国の私小説の、安部公房の言ひ方で言へば、足し算の作家たちです。安部公房のような再帰的な作家は、a, b, c, d, eのどの階層にでも出没して、その階層で話をすることができます。



この次元は理論上又は論理上、何次元まででも深め(下降方向)、また高める(上昇方向)ことができます。20歳の論文『詩と詩人(意識と無意識)』の次元変換、次元展開を思い出して下さい。

これが、安部公房の小説の構造です。『箱男』の次に執筆した『密会』も然りです。言葉で説明するよりも、このように図像で示した方が、解り易いのではないかと思います。

この構造は、安部公房が晩年の言語論で論じている通り、そのまま人間の認識の構造ですから、これが安部公房の認識した言語構造だということになります。

しかし、何も特別な構造ではなく、知る人ぞ知る構造です。むしろ、文学の世界の人間よりも、ソフトウエアのエンジニアの人たちの方が、人工言語において、この再帰的な構造について、数学的にはよく知っています。

また、次の様な、同様にa recursive manでGoogleの画像検索をして出て来る図像を観ると、安部公房の小説の構造がどのようなものかがよく判るのではないかと思います。話法(mode)のネスト構造(入籠構造)です。




『安部公房の変形能力11:ドストエフスキー』で論じた、安部公房の小説の構造、即ち「そう。構造が全部ぬけたテントの梁みたいな小説が好きなんだ。ふつうの建物は構造と中身が対応していて、外から見ればだいたい中身が想像できるだろう。そんな小説は書く気がしない。さまざまなイメージの断片が並んでいて、一つ一つははっきりと明瞭なんだが、横に並んでいるものがいつのの間にか縦に見えてくる迷路のような小説が好きなんだ」という小説の構造は、上の図像の示す通りのものです(『文学世界にテーマはいらない[聞き手]浦田憲治』(全集第29巻、244ページ))。確かに、垂直と水平の関係が交換されるような構造になっていることがお判りでしょう。また、上で定義した再帰的人間の定義に「 その人間の一部が、常にその人間の全体を含んでいる人間である」とある定義通りの人間です。」

以上は、安部公房に拠つて再帰的な人間像をお話ししたものですが、しかし、これが像である以上、そのまま三島由紀夫にも通用してゐることに、三島由紀夫の読者は気づくのではないでせうか。

上述の安部公房といふ名前を三島由紀夫に置き換へて、またその他の名詞を、安部公房の世界の名詞ではなく、三島由紀夫の世界の名詞に置き換へて読み直してみると、三島由紀夫が一体どういふ人間であるのか、即ち再帰的な人間がどういふ人間であるのかが、よく解る筈です。

この再帰的な人間の意識と作品構造を論じたのが、森孝雄の群像新人文学賞受賞評論『『豊饒の海』あるいは夢の折り返し点』です。

この第一章の題が「『「物語の解体」という物語の解体』という物語の解体」と題されてゐて、既に此の題名が、再帰的な人間である三島由紀夫の世界の構造を論ずることになつてゐる事で、それが判ります。[註1]

[註1]

この評論で、私が素晴らしいと思ったのは、何よりも此の第一章の題です。

「『「物語の解体」という物語の解体』という物語の解体」

といふ題です。

何故ならば、これが三島由紀夫の、最後の『文化防衛論』にまで及ぶ、この詩人の再帰性(繰り返し)の、その世界の入籠構造、即ち言語構造を示してゐるからです。

即ちまた、この題は、言語の、三島由紀夫の虚構の世界の(詩も含みます)話法(mode)のことを正確に指摘してゐるからです。

本論を読みますと、森さんは、立体的にではなく、平面的に三島由紀夫の世界を解釈して、二次元で説明したのです。これはこれで、一つの素晴らしい、即ち徹底した三島論です。何故ならば、二次元とは、この私たち人間の生きるギリギリの、最低限の日常の時間の中で、この論考を書いたことを意味してをり、また三島由紀夫を其の日常の時間の中で論じようといふ試みであるからです。

それ故の、夢の「折り返し」点なのでありませう。

「折り返し」とは、第一章の題名の示す通り、三島由紀夫の小説と詩の世界の再帰性を指してゐるのです。

さて、しかし、一体誰が、何が再帰するのでしょうか?

これに答へたいと思つたのが、この論考と理解しました。

最後のところで、文武の間の、文と武の間といふことを言つてゐて、これは、何度も私が繰り返しいふやうに、時間の差異に美と叙情を求めた三島由紀夫と平岡公威の本質を突いてをります。もつとも、これは何も文と武ばかりではなく、その余にも、浜の真砂ほどにもあるのです。

最初に繰り返しといふ再帰性をいひ、最後に差異のことをいつたということでも、この評論は、三島由紀夫批評史上に残る批評です。

それから、本多繁邦を終始一貫引き合ひに出して、話法の問題を読者に意識せしめたこと。

従ひ、この評論の価値は、要約すれば、三島由紀夫の『豊饒の海』を論じて、

1。最初に、繰り返しの入籠構造、即ち言語構造を言ひ当てたこと
2。最後に、文と武といふ「肥沃な「間」」、即ち三島由紀夫の差異を言ひ当てたこと(これを時差として表立つて論じたらもつと面白かつた。しかし、この方の面白さは、この時間の言語藝術家を幾何学的に論じたことにあります。即ち時間のない空間的な形象を用ゐて論じたことに。)
3。話法(mode)の問題を論じたこと

この3つに尽きます。

この論考を読んで、まだまだこの筆者には言ひ足りないことが行間に一杯詰まつてゐるのだなといふことを感じ、思ひました。

それ故の、その後の長い25年間の沈黙なるかなとも思ひました。最近になつて『憂国者たち』といふ小説によつて再び世に現はれい出るまでの。



2。「幻想 散文による素描または散文自体を素描したもの」の素描

この作品は、トーマス・マンが1893年、18歳の時に、友人と出してゐた同人誌「Der Frühlingssturm」(「春の嵐」)に筆名Paul Thomasの名義で、その生まれ故郷、ハンザ同盟の盟主であつたLübeck(リューベク)にゐる時に書いた最初期の作品です。

この極小品の文字の量は、凡そ3600文字。わたしの手元にあるS・フィッシャー書店(マンの生涯の専属の出版社。以下「フィッシャー」といひます)が1972年に出版した短編全集の最初にをいてある、たつた1ページ半の分量の作品です。これは短編全集ですので、フィッシャーは、これを小説だと解したことになります。しかし、第3章でお読みになればお解りのやうに、この作品は、非常に、文字通り微妙な、詩文と散文のいづれの範疇とも呼び難い文章(text)、原初(primitive)のテキスト、名付けられない総体としてある文字の集合となつてをります。

即ち、これを詩だと言へば詩であり、散文だといへば散文であり、詩的散文だと言へばさうであり、散文詩であるといへば、その通りなのです。

即ち、範疇(ジャンル)を超えて総てであり、且つそのやうな総てでも全くないテキストなのです。

即ち、言語藝術家が、言語と言葉を使つて、また言葉と言語に使役されて、文字を無地の紙の上に書く時と場合には、一体そこで何が起きてゐるのかを如実に示してゐる貴重なテキストなのです。

即ち、この極小品は、生々しいテキストなのです。

安部公房であれば18歳の成城高校時代の処女作『(霊媒の話より)題未定』と同様に、また三島由紀夫であれば16歳の『花ざかりの森』同様に、生々しいテキストなのです。

即ち、これを読んだら、読者は、その人間の一生の文学を直観的に見透して判ることになり、また理屈を立て、秩序立てても同様に解り、如何様にでも、安部公房や三島由紀夫の作品群を、範疇(ジャンル)を超えて、論ずることのできるテキストなのです。

トーマス・マンの全ての作品は、この小さなたつた1ページ半の短い文章の上に、それがどのやうな長編小説であれ短編小説であれ、これから述べる極小品の3600文字の上に成り立つてゐるのです。

それは、このやうな話です。いや、話ではありますが、いはゆる時間的な流れの筋書きはない。

さて、主人公の周囲は闇である。夜。ある部屋にいて、主人公は椅子に座り机に向かつてゐる。ランプが点いてゐて、そのランプからの光が円錐形をなしてゐる。主人公は闇の中にゐて、闇の中からその明るい円錐形の中を覗き見てゐる。そこを舞台にして、ふたつのものが過去の記憶の中から姿を現す。ひとつは、聖杯であり、もうひとつは女性の白い手と腕、青い血管が息づいてゐるエロティックな女性の腕です。それが聖杯のそばにある。

従ひまた、この男は男性としては性的には無能力者だといふことになります。実際マンの同性愛の傾向は抜きがたい。(同じ典型的な芸術家をわたしはHart Craneといふアメリカの詩人にみますが、こちらはもつと現実的に、つまり肉体として男色者でした。)

この円錐形の光の世界でおこることは、闇の中にいる男は制御することができません。ただbegierig(熱心に)見てゐることができるだけです。この熱心にといふドイツ語に、わたしはマンの性欲、倒錯した性を感じます。単に熱心といふだけではない、もっとエロティックな欲情ともいふべき熱情なのです。しかし、その対象、そのエロスを、外にゐる男は所有することができないのです。作品、すなわち言語組織体は、そこで自己の意志を以つて自己増殖する。マンが繰り返し述べてゐるところです。どの作品もそうやつて生まれる。

わたしは、この作品のいはんとしているところ、あらわしてゐるところは、芸術家の、およそ言語にかかわる芸術家、散文家であらうと詩文家、詩人であらうと、そのやうなひとの姿を真率にあらわしてゐると思つてをります。

この作品は、どのやうに出来てゐるかを以下に列挙して述べます。さうして、そのあとで、第三章でテキストをお読みください。

1。両極端の対比、対位、対立、対照の語彙から作品の構造(骨組み)が成り立つてゐる。

2。この両極端は、交換可能の関係にある。從ひ、

3。現実と非現実が、全くそのまま非連続の連続、連続の非連続といふ接続法によつて上位接続されてゐる。この場合、上位接続されて現出する世界が、詩であり、小説であり、戯曲である諸作品です。安部公房の場合には、エッセイですら散文詩となつてゐる。

3。「……」といふ記号を頻度高く使用して、これに、沈黙と余白、即ち言語にならない或るものを表はし、それによって、過去の時間の想起と追想と追憶、時間の余白、無時間または時間の停止、自己の記憶喪失、従ひ自己喪失、即ち豊饒の無といふ意味を持たせてゐる。(第三章の訳文では、この沈黙を日本語の文字と読点に変換して表しましたので、ご了解下さい。)三島由紀夫のこの記号については既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』で論じましたので、ご覧ください。:hhttp://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html。さうして、

4。現在の時点から過去を追想、追憶して、その時差に現れる「幻想」を現実のものとして視ること

5。その現実は「幻想」であることから、そのまま非現実の現実になつてゐること。更に、

6。その「幻想」はvisionであることから、それは単なる幻の想ひといふよりも、絶対的な物事の存在の姿、即ち宇宙の原理を体現するものとして其の姿を露はに示して、書記であるマンの前に現前するものであること。

7。マンは夜の中に、闇の中にゐて、光の領域に其の宇宙の原理を視ること。

8。その視る世界に現れるvisionは、一つの組織、一つの有機体であつて、その意志によつて自己増殖をすること、從ひ、視るものは、それを制禦したり、支配したりすることは一切できないこと。そして、

9。それは、「忘却の淵より忽然とあらはれいで」る「色彩鮮やかな、才能豊かな女」であること。「忘却の淵より忽然とあらはれいで、前とそつくりにつくりなされて、形式が与えられ、想像力の思ひ描いたもの。想像力とは、かくも、色彩鮮やかな、才能豊かな女、女の藝術家といふべきもの。」

10。それは全体ではなく、部分であること。從ひ、

11。小さいものであるが、しかし、嘗てのやうに、それには全体が宿つてゐて完璧なものであり、一つの宇宙であり、全有であり、一つの世界であること。

12。その小さなvisionは、暗闇の中で視てゐて、無際限に揺蕩(たゆた)ふ塑像であり、彫刻であり、8にあるやうに制禦したり支配したりできない9の女であること。

13。当然のことながら、そのvisionたる宇宙原理の姿は、美しいものであること。「忘却の淵より忽然とあらはれいで、前とそつくりにつくりなされて、形式が与えられ、想像力の思ひ描いたもの。想像力とは、かくも、色彩鮮やかな、才能豊かな女、女の藝術家といふべきもの。」

14。この、闇に包まれてゐて其の中から、しかし他方光ある、その領域を視る者は、その息づいてゐる有機体、有機組織を、視るだけであつて、直に触れることが決してできないこと。

15。この二つの関係は、從ひ、世間の分化した人間たちの目から見れば、倒錯であること。從ひ、

16。闇の中から明るい光り射す領域にある美の姿たる宇宙原理を視る者は、いつまでも其れに触れることのできないこと、言い換へれば、絶対的な接触不可能性、絶対的な交接と性交の不可能性の自覚のあることから、異様異常に性慾が亢進するが、しかし、その性慾は満たされることが決してないこと。

17。そのことを、視る者は、自己喪失と記憶喪失の想起(失はれた過去を思ひ出すこと)と引き換へにして現前する現実といふ夢、夢といふ現実を目の当たりにして、さういふ状態にゐて、16のことを自覚してゐること。 從ひ、

18。それは、世間の分化した人間たちの目から見れば、性的な倒錯であること。

19。それも、視る者は、十分過ぎる位に自覚してゐること。

20。16のことから、その視る者は、性的な不能者であること。

21。従ひ、このやうな者の言葉と、さうではない、反対側に倒錯してゐる世間の人間の言葉は、全く相容れず、相容れないどころか、理解されず、行き違ひ、すれ違つて、生きた人間に行き遭ふことがないこと。同じ言葉を口にし、文字に書いても、それが日常の言葉とは、異様な程異常な程に異質であり、視る者の言葉は、理解がされないこと。他方、逆に、

22。日常の中では、そのやうな者は、日常の一次元の時間の中にゐる他者の言葉を正解しても、誤解して、意思疎通のできぬ人間だと思はれることがあり得ること。

23。15、16、17のことから、この視る者は、その性慾に満ちた視力によつて、光の領域にある美の塑像、塑像としてある美を自己の中に吸い込み、受け容れ、実際に受胎し、生命を己のうちに孕み、果てることなく、いつまでも、自己が自己に益々与へ(再帰的な人間!)続け、益々自己を増大し続け、増殖し続け、自分自身に魔法、魔術、呪術を掛け続けてゆくこと(呪術と永遠の現在!)。

24。視てゐる対象が女の塑像であるのに、視てゐる自分が男として受胎すること。反対側に倒錯してゐる世間の人間から見る倒錯。

25。性慾の強い視力で、16の不可能性を代償にして、譬喩ではなく、実際に美を食べる者であること、視線によつて、視ることによつて性交するするものであること。「あの時と同じやうに、わたしの視線は、重たく、さうして、何ともいひやうのない、厭ふべき肉慾で、喘いでゐるのだ。愛との戦い、愛の勝利が、活き活きと、脈打つてゐるその手の上で、わたしの視線が喘いでゐるのは、あの時と同じだ。あの時と同じだ。」これは、そのやうに、肉体で性交できない男が、美を受胎することによつて、絶対的に美に敗北することをいつてゐる。從ひ、

26。視慾と食慾が分かち難く結びついてゐること。從ひ、

27。視覚と味覚が分かち難く結びついてゐること。しかも、

28。これらのことが全て、視る者は、狂気の妄想であること、正気の沙汰ではないことを自覚してゐること。また、

29。16が、自己にとつてはさうではないが、反対側に倒錯してゐる世間の人間にとつては背理で有ることを自覚しないほどに自分のもの(自己の体の内部の生理的な感覚)になつてゐるものであること。それは、26と27の理由によるだらう。

30。この小さな美の塑像のある光の震へてゐる其の空間は、静寂であり、静謐であること。「しかし、それも、はや、なんといふことか、今となつては、ここにあるのは、静けさ、しじま、静寂だけだ。なんといふ倒錯だらう。静けさが存在するといふのに、すべての感覚に、狂気が、みなぎり、走り廻ってゐるのだ。熱病に罹つたやうな、神経質極まりない、常軌を逸したことだ、これは。音といふ音が、どれも、ひとつひとつ、神経に障る音を立てて、口汚く罵り、罵倒し、口論を吹き掛け、泣き、喚き。いやはや、これらすべての、静けさと騒音の倒錯に気も狂ひ果てた姿で、忘却に沈んでゐたものが、ゆつくりと、下の方から、目の前に浮かんで来るのだ。」「ここでは、全く音がしない。周囲の笑ひ声の騒がしさや喧噪も、一切この空間の中に入り込むことはない」こと。しかし、それに反して、また対して、

31。視るものである自分自身の周囲は異様異常に騒がしく、その音の一つ一つを明晰に聞き分けてゐながら、上記30の最初の引用にあるやうに「音といふ音が、どれも、ひとつひとつ、神経に障る音を立てて、口汚く罵り、罵倒し、口論を吹き掛け、泣き、喚き」すること。

32。このvisionの到来、これは必然ではなく、偶然の、「それは、像、偶然の創造した藝術作品」であること。

33。このやうな言語藝術家は、周囲の音立てて騒々しい現実に抗して、また同時に、現実とは謎であり、混沌として無秩序であると思ひ、考へてゐること。「まつたく、こいつが、この音が、わたしの周囲を包んでいる、この煙草の記す、奇ッ怪な煙文字の深い意味を解釈することに没頭して我を忘れてゐたところを、糞つたれ奴、もうすつかり迷宮の道しるべの糸を捕まへて理解しようと決心してゐたところを、この野郎、わざわざ邪魔しやがつて、何としてくれようか。」

34。33の騒々しい現実にも拘らず、その謎に満ちた「この煙草の記す、奇ッ怪な煙文字の深い意味を解釈すること」、そして「迷宮の道しるべの糸を捕まへて理解しようと決心」することが、言語藝術家の仕事であること。

35。この「この煙草の記す、奇ッ怪な煙文字」は、視る者自身から放たれた煙であり、その謎であること、常に自分自身との関係で、その謎を解き、「迷宮の道しるべの糸を捕まへて理解しようと」するの(再帰的人間!)が、この視る者である語藝術家であること。

最後に、あと八つ。

36。上記1から35の出来事は皆、この作品の冒頭の窓に深く関係して起きるといふこと。

37。上記1から35の出来事は皆、三島由紀夫の場合には、一桁の年齢から十代の詩を読むとよくわかりますが、この窓を通じて、外部が部屋の中に、幼年期の、從ひ0歳から5歳までの間の平岡公威が身を隠して様々な思ひに耽つたお納戸の窓を通じて、お納戸の中に、このやうなvisionと共に、実に明瞭明晰な関係の総体としてある本質的なものとしてある幻想が、さうして恐らくは夜に、闇の中に身を潜めている時に最大に、やつて来たといふこと。

38。Visionの中で自分の触れてゐるものは、たとへ其れが無機物であつても、有機物のやうに、生きて音を立てること。

39。このvisionの立ち現れる時の最初の感情は、自分で制禦できない不愉快な否定的な感情であり、怒りであること。「もうかうなると、わたしは、ことの次第にあらがふことなどできやうはずもなく、まつたくどうしようもなくただただ胸糞悪く、悪意と憎悪で不機嫌極まりないといふ状態」

40。最初も突然に理由もなく始まり、最後も突然に理由もなく終わること。それは、ある特定のある一語で始まり、同じ一語で終わることことによつて示されること。即ち、始まりと終わりに、何の理由も全くないこと。即ち、

41。最初と最後に同じ言葉が登場して、全体が未完結のまま完結すること、あるひはまた、完結のまま未完結となること。その話が循環構造を備へてゐること。安部公房ならば、位相幾何学(topology)のメビウスの環であり、三島由紀夫ならば、自らの尾を噛んだ蛇の形象である。しかし、後者にあつては、この蛇は同時に理髪師といふ、この最初と最後を、自らが媒介(関数)となつて宰領する殺人者であること。これが、どのやうな関数であり、すべてを受け容れる媒介であるのかは、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く29:イカロス感覚7:蟹』で、『詩人の旅』といふ19歳の詩を取り上げて、詳細に論じた通りです(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/11/blog-post_7.html)。

42。41の最初と最後は、いつも話者の予感し期待する静寂を妨げたり、障る形で到来すること。『凶ごと』の詩の最後の連に歌はれてゐるやうに、確かに「吉報は凶報」であること(決定版第37巻、400ページ)。

43。勿論、当然のことながら、この小さな宇宙の始まりと終わりは、それを視ることになつてしまつた者には、制禦できないこと。從ひ、偶然といふ以外にはないこと。

以上のことを列挙しますと、如何に三島由紀夫がトーマス・マンを、1950年から1963年、25歳から38歳までの、自ら古典主義の時代と呼んだ其の時代に愛したかが、よくお解り戴けるのではないかと思ひます。

トーマス・マンは、28歳の時に書いた名作『トニオ・クレーゲル』の中で、友人のロシア人の女流画家、リザヴェータ・イヴァノーヴナに向かつて、主人公に、これ(literature)は呪ひだ、といはせてをります。

「それを、いつ感じるやうになつたか解りますか?、この呪ひが?恐ろしく早い時代に。人がまだ真っ当に、平安の中にゐて、そして神(Gott)と世界と共に融和して生きてゐなければならない時代に。」



3。『Vision Prosa-Skizze』(『幻想 散文による素描または散文自体を素描したもの』)


Vision
Prosa-Skizze

幻想 
散文による素描または散文自体を素描したもの


わたしは、そのとき、さうとは考へることもなく、いつもの慣れた手つきで、新しい煙草を巻いてつくらうとしてゐた。煙草の葉の茶色の片々が、鼻の中の粘膜をひりひりと刺激し、それらが、私の机上に開いてある紙挟みの黄色の吸い取り紙の上に、はらはらと落ちたと思ふや、わたしは、自分が未だ目覚めてゐることが、あり得ないことに思はれた。さうして、開いた窓から湿つて生温い夜風がやつて来て私のそばを通り抜け、わたしの吐き出した煙草の煙の雲を、奇妙な、普通はあり得ないやうな形につくりなして、机上の緑色の傘の電燈の明かりの中から、生気の無いぼんやりとした黒い闇の中へと運び出してみせるや、わたしは、既にして、間違い無く今夢を見てゐると確信したのである。

さあ、もうかうなると、わたしは、ことの次第にあらがふことなどできやうはずもなく、まつたくどうしようもなくただただ胸糞悪く、悪意と憎悪で不機嫌極まりないといふ状態になつた。といふのも、夢か現か判然とはしないが、しかし、とにかく、既にして夢をみてゐるといふおもひが、いはば幻想の馬に鞭をあてたがために、その馬に勢ひがついて、あてどなく疾駆し始めたからだ。わたしの後ろで、椅子の背凭れが、さうつと密かにわたしを蔑みばかにして、何か硬いものを割つて弾けるやうな音を立てた。と、不意に、わたしの体のすべての神経に、戦慄が走るかのやうに、やむにやまれず、とめるにとめられず、気がついてみたら、既にしてさうであつたといふかのやうに、一瞬にして不安が走り、いらいらが嵩じてゐる自分を見たのである。まつたく、こいつが、この音が、わたしの周囲を包んでいる、この煙草の記す、奇ッ怪な煙文字の深い意味を解釈することに没頭して我を忘れてゐたところを、糞つたれ奴、もうすつかり迷宮の道しるべの糸を捕まへて理解しようと決心してゐたところを、この野郎、わざわざ邪魔しやがつて、何としてくれようか。

しかし、それも、はや、なんといふことか、今となつては、ここにあるのは、静けさ、しじま、静寂だけだ。なんといふ倒錯だらう。静けさが存在するといふのに、すべての感覚に、狂気が、みなぎり、走り廻ってゐるのだ。熱病に罹つたやうな、神経質極まりない、常軌を逸したことだ、これは。音といふ音が、どれも、ひとつひとつ、神経に障る音を立てて、口汚く罵り、罵倒し、口論を吹き掛け、泣き、喚き。いやはや、これらすべての、静けさと騒音の倒錯に気も狂ひ果てた姿で、忘却に沈んでゐたものが、ゆつくりと、下の方から、目の前に浮かんで来るのだ。それは、過去に一度私の視力に刻み込まれたもので、浮かんでかうして見る度にいつも新たになることが稀だといつても、ほとんど無きに等しい姿。それ程我が視力に深く刻み込まれてゐるものなのだ。この像を見る度に、当時の、わたしがこの現れいづるこの姿に感じてゐた、生々しい感情も一緒に思ひ出されるので、いつもそれが今現実にそこにあるやうにありありとあるので、何度その姿を目の当たりにしても、それに聊かの変化があるなどといふことは、全く無いといつてもいいものなのだ。

わたしの眼が、性慾に駆られるやうにして、見たい見たいといつて、暗闇の中にいつもの場所の全体をみつけるまで拡大してゆくこと、そのさまを眺めることは、まあ何と面白いことだらうか。その場所とは、明るい色の塑像が、その姿を絶えることなくいよいよ明瞭にさせながら浮かび出てくる、いつもの場所なのだ。わたしの眼が、どのやうにこの成りゆきを、みづからの中に吸ひ込み、嚥下咀嚼し、すつかり自分の血肉にしてしまふのか。それは、なるほど、お前の眼は、そもそも妄想や幻想を見てゐるとしか言ひ様のないものだ。が、その眼は、たとへ傍目には気が触れてゐるやうに見えやうとも、しかし、どこまでも神聖に、敬虔に、その塑像の生まれるところを見てゐるのだ。だからこそ、わたしの眼は、受胎をし、妊娠し、どんどん、どんどん、何度も何度も受け容れて、大きくなつてゆく。つまり、ますます、与へて与へて、大きくなつてゆく。どうしやうもなく、みづからを大きくしてゆく。どんどん、どんどん、みづからを魔法に掛けてゆく。永遠に、この先もずうつと、さうして、もつと、もつと。

さうして、さあ、さあて、それは、全く明瞭な姿で、そこに現れてゐた。あの時と同じやうに完璧に、非の打ちどころのない姿で、そこにゐた。それは、像、偶然の創造した藝術作品。忘却の淵より忽然とあらはれいで、前とそつくりにつくりなされて、形式が与えられ、想像力の思ひ描いたもの。想像力とは、かくも、色彩鮮やかな、才能豊かな女、女の藝術家といふべきもの。

大きいものではない。小さいものだ。それに、そもそも全体的に造られてゐるわけではない。が、しかし、あの時と同じやうに完成して、そこにゐるのだ。とはいへ、しかし、完成してゐるにもかかはらず、暗闇の中を無限にどこまでも、どこまでも、四囲に、たふたうやうにして溶けひろがつてゐる。それは、すべて。それは、ひとつの世界。その中では、光りが細かくふるへ、さうして、静かで深い情趣がある。

光りがあるのに、それはひとつの世界であるのに、そこでは、全く音がしない。周囲の笑ひ声の騒がしさや喧噪も、一切この空間の中に入り込むことはない。さう、いまは、確かに周囲の騒音は、この中には侵入してこない。しかし、あの時は、さうではなかった。なんといふことだ。

ダマスク織が、一番下に敷いてあつて、それは、目が眩むほどの美しさだ。ダマスカスで織られた葉と華が、織物の上を斜めにぎざぎざに走り、丸く円を描き、うねうねとした模様を描いてゐる。この織物の上に、透明にぺったりとをかれ、華奢にすらりと鶴首のやうな脚が上に伸びて立つてゐるのは、その半身がしろがねで覆はれてゐる水晶の高脚坏(たかつき)。その前に、手がひとつ、夢見るやうに伸びてゐる。五本の指は、しどけなく、その聖杯の脚を、掴むともなくつかむやうにしてゐる。その高脚坏(たかつき)の脚を、いぶし銀の環が、柔らかく包んでゐる。その上には、血の滴るやうな素晴らしい色をして、一個の紅玉が象眼されてゐる。

さて、その柔らかい手首から上の部分が、徐々に徐々にと強い段階的な調子で輪郭をともなつて腕にならうとしてゐる、丁度そのところで、既にして、その手姿は、全く闇に溶けてゐる。甘美な謎だ。夢を見てゐるやうに、さうして静止して動くことなく、乙女の手が、そこに憩ふてゐる。その手の白い色、といつても内に籠つて抑へたやうな白の上に、やはらかく、淡青色の静脈が、脈打つて息づいてゐる、そこ、そこにのみ、生命が脈打ち、情熱がゆつくりと音を立ててゐる。この表象が、わたしの視線を感じるにつれ、次第に動きが激しくなり、興奮して野放図になつていつて、とうとう、哀願するやうな痙攣に至る。ああ、もうおしまひにしよう、もう。

しかし、あの時と同じやうに、わたしの視線は、重たく、さうして、何ともいひやうのない、厭ふべき肉慾で、喘いでゐるのだ。愛との戦い、愛の勝利が、活き活きと、脈打つてゐるその手の上で、わたしの視線が喘いでゐるのは、あの時と同じだ。あの時と同じだ。

ゆるやかに、高脚坏(たかつき)の底部から、ひとつの真珠が離れ、宙に浮いて、上へと昇つてゆく。この真珠が、紅玉の光り輝く領域に入るや、血のやうな紅に色を変じて燃え上がり、さうして、紅玉の面に接して不意に消滅した。と見るや、邪魔が入つたとでもいふやうに、すべては消え失せようとした。どんなに、わたしの眼が、そのやわらかな手の輪郭を画いて、その命を奮い立たせ、命を新たにし、蘇生させようと努力したにもかかはらず、それは、烏有に帰した。

さあて、お終いだ。どこかにいつてしまつた。暗闇のなかに溶けてなくなつてしまつた。わたしは、深く、深く、溜め息をつく。なぜなら、わたしが、この表象のことを、既にして忘れてしまつてゐるといふことを、わたしは知つてゐるから。それも、あの時と同じだ。

わたしが疲れて椅子の背凭れに背なを預けると、苦しみが、痙攣するやうに、わき上がつてきた。しかし、わたしは、あの時と同じによく知つてゐるのだ。お前は、かうなつても、わたしを愛してゐるのだといふことを。さて、そうして、だからこそ、わたしは、かうしていま泣くことができるのだといふことを。あのとき、わたしは、泣くことすらできなかった。


(拙訳)























2015年11月17日火曜日

言語とは何か


言語とは何か                

という問いを、まだ子供のときに問うたことがある。それ以来、生活の中で折に触れ、繰り返し言語について考えたことは、わたしの地下に、細々とした水脈となっているので、そこから幾許かの言葉を汲み出して、この一稿としたい。

縁有って、首都大学東京瀬尾育男教授の詩の授業で、ヤコブソンの講演の記録とソシュールについて教わることがあったので、そのテキストを材料にして、掲題に答えようと思う。

ひとは、常識だと思っていることは、口にしない。ましてや、文字に表すこともない。ヤコブソンの講演録「言語学の主題としての失語症」にも同じむつかしさがある。時は、1953年。第二次世界大戦が終わり、戦後の混乱が世界的にも一息つき始めた頃、この時、講演者と聴衆との間で共有していた、言語に関する知識は表立って文字で表されているわけ ではない。しかし、講義録の文意と行間を読んで、その核心を集合論のベン図で表すと、次のようなものになる。この場合、ひとつの円は、ひとつの概念を表す。




ヤコブソンが聴衆と共有している言語宇宙は、このような宇宙である。これは、概念による宇宙であるならば、どの宇宙であれ、この図によって表される、そのような宇宙を示している。この概念同士の理解に齟齬や支障を来しているのが、失語症の患者であって、これは譬喩(tropes)の一次分類の能力、即ち隠喩(metaphor)と換喩(metonymy)に関する能力の欠損として現れる。勿論ヤコブソンが言いたいことは、概念の理解力の欠損と譬喩の理解力との関係である。ヤコブソンは、AとBの関係を、共通集合Cを共有するがゆえに、内的関係とよび、相似性(similarity)と対比(contrast)がある関係だと言っている。これに対して、AとDの関係を、隣接しているがゆえに、隣接性(contifuity)と遠隔性(remoteness)を有する、概念同士の外的関係といっている。私見によれば、更にEを加えて考えるべきだと思う。これは、その宇宙内のどのような概念とも隔絶して、その宇宙では他の概念と共通集合を持たぬ概念であり、それが故に、別のもうひとつの宇宙に置かれた場合には、(AやBがこの宇宙ではそうであるように、)別の概念と共通集合を有する概念となって、新たな宇宙を創造する概念である。いづれにせよ、ヤコブソンは、EをDに含めて、Dで代表させていると考えてもよい。

さて、失語症の現象は、相似性か隣接性のいづれかに障害をきたすものとして現れる。つまり、(A、B)の隠喩か、(A、D)の換喩に関する能力に支障をきたす症状として現れる。

ヤコブソンは、失語症を言語とは何かという問いに答えるための陰画として論じているので、わたしたちは、これを陽画として、譬喩の能力の問題として考えてみることにしよう。つまり、概念の相似性とは、AはBであるという命題を構成することのできる能力であり、譬喩としては、隠喩、即ち姫は白雪だという譬喩をいうことのできる能力をいう。これに対して、概念の隣接性とは、DとはAのことだという能力であり、換喩、即ち駅でその男性を赤帽といい、童話の中でその少女を赤頭巾ちゃんという能力のことをいう。

ヤコブソンは、正常な言語行動は、譬喩のふたつの両極を行き来するものだと言っている。私達の、詩を書く能力についても同様ではないだろうか。もっと正確に言えば、詩人はCとEの言葉を求めて、これらの間を行き来する。

ベン図をみてお判りの通り、隠喩は、Cに焦点を当てて数学的にみれば、算術演算でいえば掛け算、論理演算でいう論理積の世界、換喩は、足し算、論理和の一種ということになる。前者は、AとBというふたつの概念を使って新しいコンテクスト、新しい宇宙Cを創造するが、これに対して後者は、あるコンテクストの中を充填するか、そのコンテクストの内部を細緻にしてゆくだけである。ゆくだけと書いたが、あるいは換喩にも、もっと力があるのかも知れない。しかし、明瞭に、人がその力に頼るのは、この図から言っても、隠喩と、それを成り立たせている、言語の論理の力だと思われる。主語と述語と言う形式を用い、論理積によってある概念を発見して一行を書く。これは、論理的に無時間の文となる。それは、高さだけの文を産み出す。わたしはこれを垂直の旅と呼びたい。吉田一穂という詩人は、同じ営為をポラリゼーションと呼んでいる。

さて。ヤコブソンが言ったことを、ソシュールはどのように説明しているかを見て見よう。材料は、「ソシュール講義録注解」(1908年)。1906年の講義。

ソシュールの言語観をひとことでいえば、言語とはfunction、機能であり、関数であるというものだ。これを言語機能論と呼ぶ事にしよう。ここにふたつのものがあって、ひとつのものが、もうひとつのものを幾つかの規則の複合的な適用によって(人称、数、態、話法、時称)、支配し、特に時間を支配することで従属的な関係におくことを、機能化するという。明治時代の文法家は、文法用語として、これを組織(化)と概念化し、そのように訳したようである。機能化とは、このように関係の主従、支配・被支配を決定することなので、関係の機能化とは贅語である。このことは、二つの文の間でも成り立つし、語のレベルでも、語の構成要素の間でも成り立つ。勿論階層を上げて、節と節、章と章、作品と作品のレベルでも成り立つ。即ち、機能とは、構造を前提にして成り立つ。機能化とは、そのように構造化するということと同義である。従い、ソシュールは、言語を時間と無関係に論じる。勿論、それは容易なことではない。何故なら、ひとつの言葉、ひとつの概念には、時間が含まれているから。即ち、その言葉の歴史が。ソシュールが言語を共時的にのみ論ずるわけにはいかないのは、そのせいである。

ソシュールは、言語の体系をなによりもまづ価値の体系だと考えている。価値は不可算名詞なので、単位化して、その価値をはかり、何かの性質または同一性(これらは普通、意味といわれるものだ)として表現するしかない。コップ一杯の水、といったように。この機微を、ソシュールは、チェス・ゲームとその駒に喩えている。駒の種類は、何かの性質または同一性として表現されている機能単位である。あるいは、機能といえば、既に単位化を前提にしているということだ。わたしならば、概念化というだろう。

ソシュールは、言語学を全くそれまでとは独自に打ち立てたいと思い、他の隣接諸学とも別っしてあるべきだと強く考えているので,哲学、論理学、文法学といった学の持つ用語を決して使おうとはしない。そうはしないで、言語を価値の体系として論じ、用心深く伝統的な隣接学問の用語の使用を回避する。ソシュールは、この思考プロセスの一部として、ついでに、記号学を産み落とす。さて、価値の体系としての言語の体系においては、価値というものは、前述の集合論の図でいくと、(A、B)の関係か、(A、D)の関係で論する以外にはない。これをソシュールは、価値の関係は互いに依存的であり、その関係とは差異だといっている。ソシュールは、Cの積算を意義(sense)、(A,B)の和算を意味(meaning)と正しく使い分けている。これらの差異の関係は、これら語のレベルに降りて来ても、既に述べたように、機能的である。ソシュールは、この機能単位を創り出すのは意義Cであるとはっきり言っている。哲学や論理学ならば、前者は内包(intensive)、後者は外延(extensive)、あるいは、類概念と種概念ということだろう。これらは、同じものの別の名称である。ソシュールならば、同じ価値の、と言うだろう。価値はどこにも還元することができないものとして、ある。また、価値の体系というとき、ソシュールは、社会的集団の存在を前提にしていて、そうは文字で書いてはいないが、このような言語の在り方の類比として、社会を機能の集合だと考えていると思われる。そうして、個人や社会の表に現われている意志から「滑り落ちる」もの、即ち人間の無意識の領域、眠っていても脳中にあるものが、言語の全体だといっている。これが、ソシュールの言語学の対象である。

さて、機能単位の問題を論じて来て、ソシュールは、「言語的実在の問題」を論ずる。この場合の「実在」は、英語でいうentityに相当するフランス語であると推測する。

ソシュールは、実在を認識するとは決して言わない。認識という哲学用語を避けているのだ。それでも、しかし、それでも、これは認識の問題であり、概念化の問題である。Entityという実在は、そのまま機能的な単位である。その実在がひとつの概念であっても、その概念は機能的な単位である。これが、ヤコブソンの集合論の図による言語論と、ソシュールの言語論の接点であり、双方のrepresentation(対応関係)の基本である。

そうして、ひとつの実在を認識するとき、ひとは既にもうひとつの実在を認識していて、双方を比較し、差異を認め、従って、それぞれを互いに単位化して、機能化する。これをソシュールは、繰り返し、人は紙きれの表を切るときには、裏も同時に切らざるを得ず、表だけを切ることはできないという喩えで説明している。

結局、ヤコブソンとソシュールの言っていることをまとめようとすると、わたしは何がいいたいのだろうか。

言語(組織)とは、機能、即ち何々するということ、何々であるということの集合であって、それは、人間が、人間と社会の地下に眠る無意識に関し、認識によって発見する実在(entity)を組み合わせ、概念化(機能単位化)することによって、ある価値の体系(システム)を創造することをいう。

ということになろうか。

何だか随分と単純で、却って難しいことを書いたような気がする。

勿論、その宇宙を何次元に設計して創造するかは、そのひとの自由である。言語的な自由とは、このことだと思う。現実的な社会は、いつも個人に一つの定義を一次元のものとして強制するにせよ。

そうして、詩的言語を問題にするときには、ヤコブソンの譬喩に関する理解に戻ることが、よいことだと思う。


December 1, 2007

2015年11月7日土曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く29:イカロス感覚7:蟹

三島由紀夫の十代の詩を読み解く29:イカロス感覚7:蟹

Nathanの三島由紀夫の評伝『ある評伝 三島由紀夫』(新潮社)を読んでゐて、次の箇所を発見しました。

それは、かねて或る友人より質問されてゐて、私が答へられずにゐた問ひに対する、三島由紀夫自身による回答が書いてあるのを見つけたのです。

その問ひとは、何故あの三島邸の前庭にある星座12座に、三島由紀夫の大嫌いな蟹の絵があるのか、それなのに何故わざわざ其処に嫌ひな蟹が描かれてゐることがわかってゐるものを置いたのかといふ問ひです。

三島由紀夫のよる言葉は、ページは和訳で、133ページ上段です。

「庭園の中央には十二支を象つたタイルの日時計と、大理石の彫像があった。ディオニュソスのではなく、アポロのである。(かつて三島は外国人記者に、英語で「これは私が合理的なものを唾棄することの象徴だ(This is my despicable symbol of the rational.)」と説明した。)」

この一文の解釈も次のやうにありませう。

1。三島由紀夫が、この一行の中のmy despicable symbolを肯定して口にした場合。
2。三島由紀夫が、この一行の中のmy despicable symbolを否定して口にした場合。

1であれば、my despicable symbolによつて、合理的なものを否定してゐることになり、
2であれば、my despicable symbolによつて、合理的なものを肯定してゐることに

なります。

ここに、いつも既に十代の詩にある、三島由紀夫の論理が、世の常の人の、世間の親や学校が教へこまう信じさせようとする論理とは全く異質な、肯定と否定の論理の、自己を主体として言葉を発する場合にはいつも、自己の肯定・否定を含み、そしてその対象の肯定・否定の相反転する自己・両極端の二つの概念の、従ひ3つのものの組み合わせられた、三島由紀夫固有の言語論理による交換関係の創造があります。

三島由紀夫の両極端に関する肯定と否定は、上の文を解析してみると判かりますが、その論理は文のすべての構成要素に及び、從ひ、「これ」「私」「合理的なもの」「唾棄すること」「象徴」のすべてに掛かるのです。さうして、その可能性の組み合わせの中から、三島由紀夫の機智が一つの又は複数の組み合わせを選択する。さうして、次の文が生成する。

そして、一文を生成するその機智は、論理と感情が分かち難い。即ち、隠喩(metaphor)の一文を生成した後に、論理が從(つ)ひて来る。

これが、三島由紀夫の文体です。

三島由紀夫の豊かな修辞は、ここから生まれるのです。この論理を「十二支日時計の論理」と呼ぶことにしませう。しかし、これは世間の人間たちから見ると背理ですので、更に「十二支日時計の背理」と呼ぶことにしませう。

この背理を、三島由紀夫は時差の中に求めました。

すなはち、幼年期の平岡公威といふ幼児が、祖母と一緒に暮らしてゐて、その後の詩の中でくりかへし歌はれ、最後のエッセイ『太陽と鉄』にも登場するお納戸の部屋の[註1]、即ちジェット戦闘機の後ろの座席の機密室の、さうして、そのお納戸に必ずある窓から外界を眺め、外は明るく、内は暗く、外国人記者に語つた上の一行の文の示す通りに、主体と客体を交換して、外は明るく、内は暗く、またジェット戦闘機のお納戸は高みにあり高く、従ひ、お納戸の窓も高窓でありといふ、そのやうな今度は、垂直方向を考慮に入れて、(納戸の高みから見て)地上といふ水平面の世界とは大きな落差のある、一層の天の高みを仰ぎ巨大な蛇に囲巻かれた地球を見下ろす、このやうな関係が時間の中で互ひに交換され続ける複合体として生まれる論理が、三島由紀夫の終生の修辞を生み出す論理の源泉なのです。

[註1]
『太陽と含羞(はぢらひ)』に、お納戸は太陽と鉄の形象を見る、その窓のある部屋として出てきます(決定版第37版、500ページ及び501ページ)。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)』から再度引用してお伝へします(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_5.html)。

(4)黄色い色をしてゐることの形象と意味

黄色い色を歌つた次の15歳の『太陽の含羞(はぢらひ)』といふ詩があります(決定版第37巻、500ページ)。この詩を見ますと、十代の三島由紀夫が、この色に何を思つたかがよくわかります。


「太陽の含羞(はぢらひ)

太陽はお納戸と鉄の青だ
  ああ輪廓は静寂そして若さ激しさ


長くみつめると太陽は
  黄色フィルタァを我が目に据ゑる


雲のさなかに黄色い丸
  青空にきいろい丸
  日の含羞(はぢらひ)のしるしでせうか


太陽の色は


お納戸と鉄の青だ

(十五・四・十五)」」



これを、私も一行で、言葉の概念を使つて関数の式で表はせば、三島由紀夫の世界は、一生を通じて、次のやうになります。

三島由紀夫[塔(詩人の高み)、(部屋(お納戸)、窗(高窓))、反照、自己証認(identity)]

この語と語の関係の中に、この関係式の肯定と否定、更には初夏秋冬、太陽と月、夜と昼、垂直と水平、上昇と下降、その他の様々な夥しい形象が、十代の詩の中に登場し、十代の詩を土壌とすれば、後年の小説群、戯曲群、エッセイ群が、花咲くのです。

三島由紀夫の此の論理式は、勿論その感情の源泉でもあります。

ご参考までに、三島由紀夫と一年年長であるだけの、さうして内地の日本ではなく外地の満洲国奉天といふ圧倒的に幾何学的な町で2歳から16歳まで育つた安部公房といふ詩人の言葉の世界の概念の方程式をお伝へします。如何に二人は相似たるもの同士であつたか。これは、安部公房も、三島由紀夫同様に、既に一桁の学齢の時の、安部公房の世界です。

安部公房[塔(詩人の高み)、(部屋、窓)、反照、自己証認(identity)

安部公房は、奉天の窓から、厚いカーテンに隠れて、終日窓から奉天の郊外に果てしなく広がる広大な何もない曠野の空間を飽かず眺めてゐる子供でした。大人たちが、安部公房がゐなくなつたと大騒ぎをしてゐるのも知らずに。

実は、三島由紀夫の概念方程式で、「反照、自己証認(identity)」としたところは、安部公房の十代の言葉を借りたのです。この「反照、自己証認(identity)」といふ部分は、「鏡、自己証認(identity)」としても良いのです。勿論、安部公房の世界も鏡の、従ひ、再帰的な世界です。この安部公房の「反照、自己証認(identity)」を、三島由紀夫の世界像は、その一番外側、即ち縁(へり)には鏡があつて、世界は鏡に包まれてゐるのですから[註1]、「鏡、自己証認(identity)」としても構ひません。さうであれば、三島由紀夫の世界の此の箇所の二つの言葉の関係は、次のやうになります。


三島由紀夫[塔(詩人の高み)、(部屋(お納戸)、窗(高窓))、鏡、自己証認(identity)

[註1]

『三島由紀夫の世界像』をご覧ください。この世界は、鏡に包まれてをります。まづ『三島由紀夫の世界像1』(簡略な版)を示し、以下『三島由紀夫の十代の詩を読み解く25:二人の理髪師』の[註8]より引用してお伝へします。




「[註8]

三島由紀夫の持つ鏡と再帰性について、『 三島由紀夫の十代の詩を読み解く21:詩論としての『絹と明察』(4):ヘルダーリンの『帰郷』』から引用して以下にお話しします(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_24.html)。:

「三島由紀夫の十代の15歳の詩に、踊り子の出てくる『孤独(『夕暮は……』ある戯曲の一節)』と題した詩があります(決定版第37巻、552ページ)。この踊り子も、美しいのでありませうが、しかし、『道成寺』の踊り子と同様に貧しい踊り子です。傍線筆者。

「「夕暮は煙草のやうな匂ひがしますね
 ……どつか、とほい、……あのピアノの音は
 ドとファがぬけてゐます
 古いピアノのある、……褪せたカァテンの……古い家、
 大きなおほきな木彫の卓子(テーブル)がおいてあるのぢゃありませんか?
 (樅がなゝめになつて……梢に夕陽のもえのこりをとまらせて……)
 明取(あかりと)りのうへの空は」
 ひらたい……ひらたい……なんて扁たいんでせう
 みどろの一種のやうに、もつれたまゝ動かないのでせう……

 ああ あなた こゝにゐらして下さい、
 どこへいらつしやるんです
 (おのがれになれないのですよ)
 孤独はこゝろのなかにはゐません、
 あなたをとりまくみえない帷(とばり)です
 かはいさうに……さびしいので……こゝろははしやぎまは
  るでせう
 みすぼらしい踊り子のやうに
 でもそれにつれて、孤独は厚くなるばつかりです、
 シイツの皺にも
 夜が訪れてきたのですね、」
 そのとき鏡の内部(なか)には滔々と水が流れてくる、部屋はひた
  され始める

煙草の匂ひを嗅いで過去を追想するところから、この詩は始まります。煙草がそのやうな作用をもたらすことを、15歳の少年は知つてゐたことになります。

追想でありますから、「……」といふ点線による過去の追憶が始まり、この詩が過去の時間のなかで歌はれることになります。[註3]

[註3]
「……」といふ点線の詳しい意味については、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html)を参照下さい。



それも、「ドとファが抜けた」といふ、その抜けた空虚の音が響く時差の存在する古い家の中の空間が舞台です。時刻は夕暮れである。

さて、その追想の過去の時間のなかで、この詩の話者が自分の姿を現して、作中の「あなた」に、このピアノの空虚の時差の響く空間へと誘ふように呼びかけます。この「あなた」は、「踊り子のやうに」と直喩で言はれてゐますので、顔も体も若い美しい女性なのでありませう。これを今「踊り子」と呼ぶことにして論を進めます。

また、最後の二行を読みますと、どうもこの部屋は鏡の部屋、即ち壁面四面が鏡であるか、天井も床も鏡の張つてあるか、いや、それらをひつくるめても、部屋は「鏡の内部」を持つ空間であると想像されます。

この鏡の内部を備へた空間に入ると、そこには孤独がなくなるのか、または孤独になるのか、二つに一つでありませう。

「孤独はこゝろのなかにはゐません」といふ一行を考へれば、孤独は、あたなの心の中にではなく、この部屋に「あなたをとりまくみえない帷(とばり)」としてあると読むことができます。この部屋は、「鏡の内部」ですから、この部屋の「鏡の内部」にやつて来ると、踊り子は孤独になり、踊り子は「孤独は」自分の「こゝろのなかにはゐ」ないことを知るのでせう。

「シイツの皺にも/夜が訪れてきたのですね」といふ言葉には、何か非常に性愛の気配が濃厚にあります。それ故の踊り子でもあるのでせう。

この踊り子を美しい踊り子だと仮定すると、この「鏡の内部」にゐることは、実は「孤独は」自分の「こゝろのなかにはゐ」ないことを知ることであると知れば、夜が訪れるのですから、暗闇になりますので、鏡には自分の(不変の)美しい顔や肢体も映ることはなく、自己への再帰性をみることができなくなりますから、『道成寺』の踊り子のやうに鏡の部屋の外部に出て(自分の美を時間の再帰性の繰り返しの中において)積極的に自然と和解し、美としての自己を傷つけることなく男と性愛を交わすことを決心するわけではありませんが、しかし、「鏡の内部」にゐたまま消極的に、「夜が訪れてき」てみえないベッドの「シイツの皺」の上で、男と性愛を交わす準備はできてゐるといふことになります。

何故ならば、夜が訪れると、「そのとき鏡の内部(なか)には滔々と水が流れてくる、部屋はひたされ始める」からです。即ち、このとき、この踊り子の美は、夜の水の流れ、といふことは夜の河の流れと言ひ換へてもよく、更に言ひ換へれば、夜の時間の河の流れに浸されて、その時間の再帰性(繰り返し)に身を委ねて、自分の顔の美を毀損することなく、男との性愛を交わすことができる。

これが、15歳の三島由紀夫の早熟の論理であつたのではないでせうか。

この夜の論理をひつくり返すと、『道成寺』の昼間の衣装箪笥の「鏡の内部」での、踊り子の心変わりの説明になります。何故ならば、衣装箪笥の「鏡の内部」には、夜の時間の浸潤はないからです。

清子といふ踊り子は、昼間に「鏡の内部」から外に出て、そこが夜である思つてゐる若い女であるといふことになりませう。春の季節の時間の循環、その季節のたびに咲き誇る桜もまた、これらは皆夜の季節であり、夜の桜なのです。清子の叫ぶ「春はかうしてゐても容赦なく押しよてくるんだはね。こんなにおびただしい桜、こんなにおびただしい囀(略)」といふ科白に、15歳の詩の「そのとき鏡の内部(なか)には滔々と水が流れてくる、部屋はひたされ始める」といふ言葉と同じ調子を、同じ時間といふ河の水の浸潤をみることができます。

それ故に、この劇は最後に清子が「でももう何が起らうと、決して私の顔を変へることはできません。」とふ一言で、この芝居は幕になるのです。

確かに、『孤独(『夕暮は……』ある戯曲の一節)』と此の詩の副題にあるやうに、三島由紀夫は、ハイムケールの時代の初年に当たつて、この詩の主題を戯曲に仕立てたのです。

さうして、この「孤独はこゝろのなかにはゐません、/あなたをとりまくみえない帷(とばり)です」と歌はれる鏡は、14歳の次の詩にも、やはり同じ鏡として歌はれてをります。これが、おそらくは終生変わらぬ、三島由紀夫の鏡の形象であり、鏡の概念であつたのでありませう。

その詩は、『或る朝』といふ詩です(決定版第37巻、424ページ)。

「まつ白な裾長い闊衣で
 彼女は芝生を駆けて行つた。
 なにかすらつとした鳥たちは
 透明な肉体のまゝ、
 朝霧を切つて行く。
 あらゆる鬱金色の花のおもて、
 すべての森や湖や、
 噴水や糸杉(サイプラス)を包んで、
 目に見えぬ鏡があつた。」

『道成寺』も『孤独(『夕暮は……』ある戯曲の一節)』も部屋の中の鏡ですが、この詩を読みますと、これは世界が鏡であるといつてをります。

世界は目に見えない鏡に包まれてゐる。さうして、その中にゐるものは、白い色であつたり、すらつとしてゐたり、透明であつたりしてをり、また、さうして自然を包んでゐる。

自然が鏡を包むのではなく、鏡が自然を包んでゐるそのやうな鏡、そのやうに「あなたをとりまくみえない帷(とばり)」である鏡はいつも女性と性愛と孤独と時間の再帰性(自己への、また自己の繰り返し)と、そして夜と、連鎖してゐる。

これが、鏡との関係では、14歳の三島由紀夫の世界認識でありました。

このやうに考へて参りますと、三島由紀夫にとつての自然との和解とは、鏡の世界との和解といふことになります

即ち、自己との、自分自身との和解です。一体三島由紀夫は自己の何を赦し難いと思つたのでありませうか。

さうしてみますと、わたしの思ひ描いた『三島由紀夫の世界像』は、見えない帷としての鏡に包まれてゐるといふ世界像になります。」




実は三島由紀夫の詩では、[鏡、自己証認(identity)]のところは、隠喩(metaphor)として一瞬で出来上がり、即座に間髪を入れずに、二つが一つに隠喩(metaphor)となつてゐるのです。さうして、一行の文が生成する。さうして、そのあとで、三島由紀夫の思考論理が従ひて来る。さうして、その思考論理、即ち後述する背理の隙間、即ち其の差異から、新たな隠喩が生成され、この循環を、三島由紀夫の決定する結構の中で完結するまで連続するのです。

もし、天才と呼ばれる人間がゐるとしたら、それは、この二人の例のやうに、しかし最高には空海のやうに一語で森羅万象を言ひ表はし、更にしかし最多でも7つの言葉で、さうして二人の場合にさうであるやうに5つの言葉で、自分の宇宙を創造し、すべての宇宙の説明をすることのできる人間を云ふのです。

この少ない語彙で小説を書くことを、安部公房は、自分は自宅とスーパーマーケットを往復する間に使ふ言葉で小説を書くのだと言つてをります。

さて、三島由紀夫はハイムケール(帰郷)の時代の2年目、即ち40歳、1965年の『太陽と鉄』の冒頭の第一行で、「私はもはや二十歳の抒情詩人ではなく、」といひ、またハイムケール(帰郷)の時代の2年前の『私の遍歴時代』といふ、『剣』と『午後の曳航』を書いた38歳、1963年のエッセイで、この『仮面の告白』を書いた24歳の歳に「私はやつと詩の実体がわかつてきたやうな気がしてゐた。少年時代にあれほど私をうきうきさせ、そのあとではあれほど私を苦しめたきた詩は、実はニセモノの詩で、抒情の悪酔だつたこともわかつてきた。私はかくて認識こそ詩の実体だと考へるにいたつた」と、過去の詩人としての自分を振り返へつて、さう云つてをります。

ハイムケール(帰郷)の時代の前年の後者のエッセイの上の引用の直前では、「二十四歳の私の心には、二つの相反する志向がはつきりと生まれた。一つは、何としてでも、生きなければならぬ、といふ思ひであり、もう一つは、明確な、理知的な、明るい古典主義への傾斜だつた。」といふことばで明らかなやうに、既に此のエッセイを書いた38歳までの古典主義の時代、Sollen(ゾルレン)の時代、森鴎外とトーマス・マンにならつて、形式論理にしたがつて生きようとした時代の自分を否定してゐて、同じ此のエッセイの末尾で「二十六歳の私、古典主義者の私、もつとも生の近くにゐると感じた私、あれはひよつとするとニセモノだつたかもしれない。/してみると、かうして縷々書いてきた私の「遍歴時代」なるものも、いささか眉唾物めいて来るのである。」と締めくくつてゐる。

三島由紀夫のニセモノといふ言葉の使ひ方は、このやうに、その今ゐる現在から過去の時間を振り返つて、それを否定する時に、その時差にゐた自分をニセモノの抒情詩人と呼び、その時代をニセモノの時代と呼ぶのです。

さうして到頭最後のハイムケール(帰郷)の時代には、上にあるやうに、前者のエッセイの「私はもはや二十歳の抒情詩人ではなく、」といふ引用に続けて「、第一、私はかつて詩人であつたことがなかつた。」と断言し、今度は詩そのものになるので、これからいよいよ本物の詩人になるのだといふのです。さうすれば、あの世から生前を眺めて、きつと、あれはニセモノの生であつたといふに違ひありません。さう言葉にニセモノを口にした時には既に、三島由紀夫は次の生へと転生し、七生報国といふ鉢巻を締めて身罷つたやうに、七度の転生を繰り返して、日本語の文藝のために、従ひ日本の国ために、この順序で、報じてくれることでありませう。

24歳の歳に「私はやつと詩の実体がわかつてきたやうな気がしてゐた。少年時代にあれほど私をうきうきさせ、そのあとではあれほど私を苦しめたきた詩は、実はニセモノの詩で、抒情の悪酔だつたこともわかつてきた。私はかくて認識こそ詩の実体だと考へるにいたつた」といふ此の詩の実体に関する認識論は、この間30歳のエッセイ『ワットオの《シテエルへの船出》』でワットオの紅玉の林檎を論ずる不可視の林檎論となつて展開され、40歳で書き始めた『太陽と鉄』では、やはり同じ不可視の林檎論を更に一層に論じて、自分といふ林檎の芯は存在よりも認識を選ぶといつて、その近い未来の切腹の理由を述べてをります。

これから切腹といふ儀式的な死によつて詩の最たるものである美になつて、いよいよ本物の詩人になるのだといふのです。

この三島由紀夫の詩への首尾一貫した関心の表明の言葉を読みますと、大嫌いな蟹を含む「十二支日時計の背理」は、そのまま詩人としての三島由紀夫の論理であることがわかります。何故ならば、19歳の三島由紀夫は、『詩人の旅』といふ全12章よりなる次のやうな、蟹の登場する詩を一篇だけ書いてゐるからです。蟹が歌はれるのは、そのうちの第十章です。(決定版第37巻、739ページ)

この詩は、かいつまんでいふと、詩人が天地海を旅しても、どこにも栖(すみか)はなく、次の第十一章(恋歌)に歌はれる美しい女性にだけ、しかも詩人はその女性には決して触れることはできない背理に拠る女性だけにはこころ安らかに救はれる、何故ならば、背理に棲む女性は、詩人である者とは全く対極にあつて異なり、媒介者ではなく、無媒介のものであり、従ひ、「夜の星・昼の月をも映す」そのやうな鏡のやうな透明な存在であり、詩人が決して触ることのできない存在、即ち18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』で三島由紀夫の創造したあの海賊頭といふ行動家「未知へ」即ち「失はれた王国へ」即ち「ほんのりと光がさしてゐた」「産湯を使はされた盥(たらい)の縁(ふち)のところ」へ(『仮面の告白』第一章冒頭)へと求めて出帆する、即ち常に自己が生まれる此の現在から過去を見やり追想追憶して其の時差に存在する当の存在、それが美神であり、女神であるからです。

自らの言によれば、三島由紀夫とすべての接点を共有してゐながらお互ひに方向が正反対であり、対極であつた安部公房ならば、この女神を存在の女神と呼び、さうして名作『砂の女』と同じ名前の「砂の女」と呼んだことでありませう。即ち、存在の女です。

さて、このやうな「女神」を歌つた章の前の章が、蟹の出てくる第十章なのです。

この第九章で、天地海を彷徨つた詩人が、つひにとある森に入り、鵠(くぐひ)といふ名で呼ばれる白く首長く嘴長き美しい鳥に出逢つて、この鳥は詩人に向かつて「汝の清らかなる陥没、汝の縁(へり)へ。」と言ひ、「かく言ひ了りて鵠は艶かしいくよりそひにたり。/われ心惑ひ祈りつゝ之に乗れり」とあるやうに、この鳥に背中に乗つて空を飛び、恋歌と副題のある第十一章に続くのです。

次のやうな白い鳥で、やはり三島由紀夫好みの白い色をした、勿論鳥でありますから天空を飛翔する、美しい鳥であることが判ります。




從ひ、この鵠の背中にあつて飛翔して、女神に至る途上にゐる最中での、詩人の次の心中の独り言の第十章なのです。

「われ尚はげしく心惑ひて私(ひそ)かにいへらく
 「われ嘗て『翼』に在りしや?
  われ介在に苛まれしが、
  そこに我がうべなひはやさしく内面より遍満す。
  かゝる日に蝶ら花に群れ来ぬとも
  花なんぞ拒むべき。介在の苦悩を知るれば。
  超えまた拒む。なべて女人(によにん)の
  堕胎の罪に似たりけり。我は避く。
  われはおそろし。
  われ怯惰(けふだ)なること月かげにおびえて痩する蒼き小蟹の如
  し。」」

この章は、重層的な話法の構成をとつてをります。

話者である詩人のわれが語ることを、直接話法であることを示すために「尚はげしく心惑ひて私かに」といふやうに「 」といふ一重鉤括弧の中に示してゐます。

さうして、その中に更に「翼」といふ文字を『翼』といふやうに二重鍵括弧に入れてをります。この二重鍵括弧の意味は、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く17:イカロス感覚2:記号と意識(7):「『 』」(二重鍵括弧)』で論じたた通りです。(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_86.html)その箇所を今引用します。

「以下、纏めますと、

1。会話であること。
2。親しい者との会話の中の言葉であること。そして、それは、
3。一種夢のやうな、儚い、一瞬の美に関する夢想であること。
4。それは、さう言葉で呼び、言ひ表す以外にはない、それ以上でも其れ以下でもない命であること。
5。その命の一瞬の美は、「いつまで/見てゐても」、名前の変はることなく不変であるといふこと。
6。人のこころの中で知られてゐる、普段は意識しないが、何かがあればふと当たり前の、自明のことのやうに、人々の共通の記憶として意識に浮かび、思はれる、そのやうな場合の事実の言葉であること
7。やはり何か静かな思ひが歌はれてゐる
8。その主人公が、過去の真実を再度追体験し、同じ筋道を、誰かの追想と追憶の中で、辿るといふこと

このやうな8つの場合に、三島由紀夫は『 』を使ふといふことになります。」

その直接話法の中で、この『翼』は、そのやうな翼なのです。確かに自己との会話であり、最も親しい者でで筈の自己との対話、即ち独白であります。以下の3から8もその通りでありませう。

さてさうだとして、この話者は、「われ嘗て『翼』に在りしや?」とあるやうに、嘗てはこのやうな『翼』にはゐなかつた、それ故の天地海の旅であつた、何故ならば、この詩人の苦しみは介在する苦しみであり、介在者としてある苦しみであるからです。

それ故に「われ介在に苛まれし」とある。しかし、この苦しみに堪えることが「我がうべなひ」(我が肯定)であり、「やさしく内面より遍満す」る肯定だといふのです。この苦しみの肯定は、「内面より遍満」しなければならない。

しかし、さうして、やはり、この鵠の背に今あるやうに、そのやうな苦難の旅にあつても、これまでも詩人は鵠の背に乗つてゐたのだと思ひ出すのです。それ故に、

「かゝる日に蝶ら花に群れ来ぬとも
 花なんぞ拒むべき。介在の苦悩を知るれば。」

自分は、蝶々が蜜を求めて幾ら群れきても拒まぬ、そのやうな花であるといふ。何故、それらの群れを拒まないか、それは自分が「介在の苦悩を知るれば」なるが故に、です。この話者は媒介者なのです。

さて、いよいよ蟹の解釈です。

「超えまた拒む。なべて女人(によにん)の
 堕胎の罪に似たりけり。我は避く。
 われはおそろし。
 われ怯惰(けふだ)なること月かげにおびえて痩する蒼き小蟹の如
 し。」

ここで三島由紀夫のいつてゐることは、何かを超えて、その寄せ来る群れを拒むことは、「なべて女人(によにん)の/堕胎の罪に似」てゐるといふ事です。

即ち、生命あつて、これから世に出る赤子を、その前に殺してしまふ罪に等しいといふのです。本来女性であればその生命の性のあるがままに産み落とすべき子供を事前に殺してしまふ。その勇気のない我ことを「われ怯惰(けふだ)なること」といひ、その怯惰を「月かげにおびえて痩する蒼き小蟹」だといふのです。詩人は男でありませうが、しかし、それを女性の懐胎に喩えるといふのもまた三島由紀夫らしい「十二支日時計の背理」です。

これに対して、次の第十一章の美しい女神は、「かの人」と呼ばれて、

「かの人はとこしなへ混沌
 かの人は絶えず生む者たるべし。
 かの人は摘まれずして落つる果実
 かの人は触れずしてひらく蕾(つぼみ)
 かの人は呼ばれずして在る也。」

と歌はれてをります。

この章を読みますと、このやうな女性は、無媒介であつて、それ故に裸身を晒してゐる。これに対して、男性である詩人は、衣裳を着てゐる媒介者である。前者は、混沌、産む者、熟して摘まれぬ果実、触れられずに開く蕾、呼ばれずして存在する者である。

これに対して、しかれば、後者は、明晰、殺す者(殺人者)、未熟であるにも拘らず摘まれる青い果実、触れられて(蝶々の群れ来て触られて)閉ぢる花、呼ばれなければ存在しない者といふことになります。

詩人といふ媒介者と美しい女性(女神)は、このやうな背理の関係にあつて、決して交はることができない。「汝の縁(へり)」の向かうでは、一緒にゐるにも拘らず、性的にはも交はることができないのです。

この二つの対極の間に「十二支日時計の背理」があり、詩人と美は此の背理に存在してゐるのです。

従ひ、何か群れ寄せる者たちを拒むことは、三島由紀夫の意識にあつては、非常に罪なことなのです。それは、自分は男であるにも拘らず、その罪のありやうは、「なべて女人(によにん)の/堕胎の罪に似」てゐるのです。この、男女の性の交換、生と死の交換、罪と救済の交換を、世間の人々は倒錯と呼ぶのでありませう。

といふことは、「堕胎の罪に似」ずに、そして「なべて」の女人に全く似ずにゐるためには、從ひ、「何か群れ寄せる者たちを拒」まないために、たとへ「怯惰(けふだ)」であらうとも、またそれが「月かげにおびえて痩する蒼き小蟹の如」くであらうとも、自分は媒介者として、即ち詩人といふ言葉といふ媒介を扱ひ生きる媒介者として、しかも自分も言葉もこのやうに媒介なのである以上、從ひ互いに再帰的な関係にあつて、從ひ自分の肉体自身も言葉自体も「白蟻」の「腐食作用」を受けることになつてしまふ者として(『太陽と鉄』)、明晰な者として、殺人者として、未熟であるにも拘らず摘まれる青い果実として、触れられて(蝶々の群れ来て触られて)閉ぢる花として、呼ばれなければ存在しない者として、従ひ蟹として、しかも「未熟であるにも拘らず摘まれる青い果実」である以上、大きな立派な大人の蟹ではなく、「月かげにおびえて痩する蒼き小蟹」として生きる以外にはないのです。

してみれば、一読判り難い「超えまた拒む」の「超え」るといふ言葉の意味は、乗り「超え」るといふことであり、超克するといふ事でありませう。

折角堪えて寄せ来る群れを超克し、自己を超克しても尚「かゝる日に」、即ち折角『翼』に乗つてゐる日であるにも拘らず、「蝶ら花に群れ来ぬとも」、媒介する事が苦しみであるといふ理由で拒めば、それは詩人の使命を放棄した事であり、生まれるべくして生まれるべき作品たる詩を産み出す事はできず、従い産まれる前の命を殺す事になり、それは「なべて女人(によにん)の/堕胎の罪に似たりけり」といふことになるのです。

さうであればこそ、詩人は、絶えず止むことなくどこまでも自己のこの「十二支日時計の背理」にある恐怖を乗り「超え」続け、超克し続けるといふことが、詩人の生きる以外にはない道筋であるのです。

この恐怖は、三島由紀夫といふ人間の一生に通じてゐるのではないでせうか。[註2]

[註2]

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』より引用して、三島由紀夫の此の蝟集感覚がある最初の詩を示して、この蟹の感覚をお伝へします(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html)。

子蟹は、月の光を浴びて、もそもそと蝟集しながら夜に蠢く生き物なのです。


「「秋(「秋が来た……」)

     (一)
    秋が来た
    秋が来た
 おにはの柿はあかい顔
 木の葉もまねしてあかい顔

     (二)
    秋が来た
    秋が来た
 一人で庭に立つてると
 木の葉はさらさらよつてくる
 ぼくをめがけてよつてくる

  (略)

 それ故に、三島由紀夫は『太陽と鉄』の最初の一行に於いて「私はもはや二十歳の抒情詩人ではなく、第一、私はかつて詩人であつたことがなかつた。」と書いてゐるのです。

「第一、私はかつて詩人であつたことがなかつた。」といふこの文のこころは、これから私は詩そのものになつて、自分といふ「あかい」色をした林檎の芯である詩(die Poesie)を、本来不可視である此の「あかい」色をした林檎の本質を、たとへ私の存在を喪失してでも、見ることによつて、詩そのもの(die Poesie)になるのだ、即ち本当の詩人になるのだと言つてゐるのです。[註3]だから、「私はかつて詩人であつたことがなかつた。」と言ふのです。

これが、三島由紀夫の切腹でした。[註4]

そして、これが何故自分の腹を、古式には則らずに、深く刺したのかといふ唯一の理由です。

これほどに、先の戦後の時代は、三島由紀夫の詩の世界を全く否定する時代(時間)であつた。

[註3]

 (略)

横尾忠則は、三島由紀夫の死の三日前に電話で三島由紀夫と話しをしてをります。Wikipediaによれば、それ次のやうな会話でした。

「その3日前の11月22日深夜に横尾忠則は三島に電話をしている。当時三島は必ず0時前に帰宅する習慣があり、電話をしたのはやはり午前0時前であった。その日は楯の会のメンバーと5人と、パレスホテルで自衛隊市ヶ谷駐屯地乱入のリハーサルを行っていた日であった。そうとは知らず横尾は「こんな雨の中、遅くまでごくろうさんです」といった。この電話で三島は、横尾が担当した『新輯 薔薇刑』の装幀とイラストについて話した。横尾は十字架の形に枠取りし、そこに裸の三島が身体に薔薇を刺され、ヒンズーの神々によって天上へと高く揚げられている情景を描いていた。裸体の背後には魔人たちが大挙して蝟集し蠢く構図だった。三島はこの絵について「これは俺の涅槃像だろう」と言ったが、横尾は「そんなつもりで描いたのではない」と返答するが三島は「俺の涅槃像だ」といって譲らなかった。

横尾忠則『死の向こうへ』(光文社 2008年)」

7歳の此の秋の詩を読みますと、三島由紀夫が何故横尾忠則に「これは俺の涅槃像だろう」と言つたかがおわかりでせう。魔人たちは、『秋(「秋が来た……」)』で歌はれた木の葉たちのやうに「さらさらよつてくる/ぼくをめがけてよつてくる」のです。この「十字架の形に枠取りし、そこに裸の三島が身体に薔薇を刺され」てゐる絵は、まさしく静謐の庭なのであり、また既に論じた十字架といふ形象と相俟つて、三島由紀夫の「涅槃図」なのです。

また、『私の遍歴時代』の第13章の最後のところに、次のやうな詩と詩人であることについての文章があります。

「「仮面の告白」のやうな、内心の怪物を何とか征服したやうな小説を書いたあとで、二十四歳の私の心には、二つの相反する志向がはつきりと生まれた。一つは、何としてでも、生きなければならなぬ、といふ思ひであり、もう一つは、明確な、理知的な、明るい古典主義への傾斜だつた。

 私はやつと詩の実体がわかつてきたやうな気がしてゐた。少年時代にあれほど私をうきうきさせ、そのあとであれほど私を苦しめてきた詩は、実はニセモノの詩で、抒情の悪酔だつたこともわかつてきた。私はかくて、認識こそ詩の実体だと考へるにいたつた。

「認識こそ詩の実体だと考」へた24歳の三島由紀夫の此の考へは、古典主義の時代を経て、晩年のダーザインの時代、ハイムケール(帰郷)の時代には、更にこれを徹底して、存在することよりも見ることを行ひ、認識によつて自分自身が詩そのものになる、即ち『仮面の告白』について述べてゐるやうに、「もしかすると私は詩そのものなのかもしれない。」といふ漠たる思ひを明らかな確たるものにしたひと思つたといふことになりませう。



何故、「月かげにおびえ」るかといへば、「十二支日時計の背理」にあつて、そのやうな恐怖の心情を持つてゐれば、月もまた夜にあつて、太陽とは対極に、自己によつて光を発せず、自体発熱発光する太陽の光を浴びて媒介となり、媒介者として地球の夜を照らすものであるからです。

同じ詩の第七章に次の最後の一行があります。

「我が眼荒涼たる月の出にみひらかる。」

確かに、月の出は荒涼たるものでありませう。しかし、その荒涼たる月の出の景色を見るために、「我が眼」が嫌でも「みひらかる。」「みひらかる」とは、自分の意志で見開くのではなく、受け身で眼を開くことになるといふ、そのやうな意味でありませう。

このやうに三島由紀夫の十代の詩を読み解いて来れば、

「庭園の中央には十二支を象つたタイルの日時計と、大理石の彫像があった。ディオニュソスのではなく、アポロのである。(かつて三島は外国人記者に、英語で「これは私が合理的なものを唾棄することの象徴だ(This is my despicable symbol of the rational.)」と説明した。)」

とあるやうに、「十二支日時計の背理」の側に、大理石の彫像があつて、それが、ディオニュソスのではなく、アポロのであることには、十分な理由がありませう。

「十二支日時計」は、ディオニュソスといふ男の神であり、もしこの男神を「かの人」と呼ぶならば、詩人とは、

「かの人はとこしなへ混沌
 かの人は絶えず生む者たるべし。
 かの人は摘まれずして落つる果実
 かの人は触れずしてひらく蕾(つぼみ)
 かの人は呼ばれずして在る也。」

と歌はれることのできる、この神は女神であり、他方、アポロンとは、ディオニュソスとの関係では、「十二支日時計の背理」にあつて、

1。明晰なる者(これは表立つてならうとした三島由紀夫の姿です)
2。殺す者(殺人者)(これも表立つてならうとした三島由紀夫の姿です)
3。未熟であるにも拘らず摘まれる青い果実
4。触れられて(蝶々の群れ来て触られて)閉ぢる花
5。呼ばれなければ存在しない者

といふことに、まさしくなりませう。

それでは、この論考の結論はかうなります。

大嫌いな蟹の形象を含んだ「十二支日時計」と其の背理は、蟹を含んでゐるが故に三島由紀夫の大嫌いな混沌であつた。これに対して、アポロン像は明晰であつた。後者は世間に見せようとした自己の像であつた。前者は嫌いであるが故に、隠れた自己であり、本当は自分自身であつた。即ち、そこに存在しないものとして立つてゐるのは、透明な「かの人」であつて、それは「とこしなへに混沌」である。その感覚は三島由紀夫にとつては女性であつたが、しかし形象としては、男性の神としてのディオニュソスであつた。

さうして、「十二支日時計の背理」は、この世間の眼からは性的な倒錯に見えるがままに、眼に見えるアポロン(明晰)と眼に見えないディオニュソス(混沌)の間に置かれてゐる。

さうして、この「十二支日時計の背理」は、背理として不変のままに、諸行無常の時間の外側にあつて、しかし他方、十二支の星座の宇宙の運行の法則に従つて、日時計の1日単位の時間の中にも、その両極の、即ち存在(アポロン)と非存在(ディオニュソス)、眼に見える現実と眼に見えない透明な鏡に映る非現実を両脇に従へて、その不変の背理の隙間、即ち、差異に、さうしてそれが十二支の星座の宇宙の運行の法則に従つてゐれば、時間の差異、時差に超然としてあることになるのです。


さて、このやうに考へて参りますと、この考察の最初の引用、即ち、

「庭園の中央には十二支を象つたタイルの日時計と、大理石の彫像があった。ディオニュソスのではなく、アポロのである。(かつて三島は外国人記者に、英語で「これは私が合理的なものを唾棄することの象徴だ(This is my despicable symbol of the rational.)」と説明した。)」

この一文の解釈も次のやうにありませう。

1。三島由紀夫が、この一行の中のmy despicable symbolを肯定して口にした場合。
2。三島由紀夫が、この一行の中のmy despicable symbolを否定して口にした場合。

1であれば、my despicable symbolによつて、合理的なものを否定してゐることになり、
2であれば、my despicable symbolによつて、合理的なものを肯定してゐることに

なります。

といふことを更に考へて一歩踏み込んだ解釈は、次のやうになりませう。

確かに、三島由紀夫は、大東亜戦争の戦時下にあつて旧制高校生が日々自己の死を前にして独り思弁し他と議論をした哲学の論理、即ちドイツ語でいふentweder-oder(エントヴェーダー・オーダー)、即ちentweder A oder B(英語のeither A or B)といふ問ひの提示する選択肢のうち、Aか Bを選択するのではなく、両極端をそのまま肯定して受け容れて、両極端が時間の中にあつて存在する両極端の隙間、即ち其の時差に謂はば身を隠すやうに置いて、或ひは露はになるように置いて、即ち上の二つの肯定と否定の間(はざま)に我が身を隠顕両様に置いて、生きてゐるのです。

これが、三島由紀夫が現実と非現実(言葉による虚構の世界)の両方を宰領して生きようとしたことの現実です。1970年、45歳の時に『暁の寺』といふ『豊饒の海』の「第三巻の終結部が嵐のように襲って来」て「すなわち、『暁の寺』の完成によって、それまで浮遊していた二種の現実は確定せられ、一つの作品世界が完結し、閉じられると共に、それまでの作品外の現実はすべてこの瞬間に紙屑になっ」てしまふまでは。

さて、從ひ、その45歳の其の時までは、上の二つの文を三島由紀夫は、肯定もし否定もして受け容れてゐるのです。

それが、19歳の時に『詩人の旅』といふ詩に介在者として、媒介者として歌つた「われ介在に苛まれしが」といふ自己のあり方なのであり、「そこに我がうべなひはやさしく内面より遍満」しなければならないといふことなのであり、「かゝる日に蝶ら花に群れ来ぬとも/花なんぞ拒むべき」か、否拒むべきではないといふことなのであり、それは何故かといふと、自らの其のやうな介在者としての「介在の苦悩を知るれば」なりといふことなのです。

さうして、それは、天翔る白く美しい鳥の『翼』の上で「やさしく内面より遍満」する「我がうべなひ」でなければならず、我が内面から優しく行ふ肯定でなければならなかつた。天翔る鳥の『翼』の上で、「我がうべなひ」の証として、その高みで、F104ジェット戦闘機に搭乗して、実際に『太陽と鉄』所収最後の、三島由紀夫の人生最後の『イカロス』の詩が生まれた。そして、その詩は人に向かつて発声せられるのではなく、「尚はげしく心惑ひて私(ひそ)かに」、独白の直接話法で、詩人の創造する話者の、また小説の登場人物の独白として、それらの人間たちの「やさしく内面より遍満」する声として発声せられねばならなかつた。

この「十二支日時計の背理」を受け入れずに拒否することは、從ひ「堕胎の罪に似たりけ」ることなのであり、それは生命ある未生のものを殺すといふ罪であるが故に、その罪を「我は避く」る以外にはなく、それを避けねば「われはおそろし」き思ひがし、「われはおそろし」きもの、即ち人非人に、化け物になるといふことなのであり、そのやうな罪に対して感ずる恐怖心を持つ自分の姿は「怯惰(けふだ)なること」なのであり(この「怯惰」といふ語の選択に19歳の三島由紀夫のからうじて此れに堪えようとする感情と苦しみと勇気がある)、三島由紀夫は「月かげにおびえて痩する蒼き小蟹の如」き、この世に既に出生した此の世の時間の単位で数えれば19歳の、この時、若者なのです。

最後に再度、この詩をお読みください。三島由紀夫といふ人間をより深く理解するために。

「われ尚はげしく心惑ひて私(ひそ)かにいへらく
 「われ嘗て『翼』に在りしや?
  われ介在に苛まれしが、
  そこに我がうべなひはやさしく内面より遍満す。
  かゝる日に蝶ら花に群れ来ぬとも
  花なんぞ拒むべき。介在の苦悩を知るれば。
  超えまた拒む。なべて女人(によにん)の
  堕胎の罪に似たりけり。我は避く。
  われはおそろし。
  われ怯惰(けふだ)なること月かげにおびえて痩する蒼き小蟹の如
  し。」」


これに対して、安部公房は、成城高校の時代に、親しく哲学談義を交はした友、中埜肇と議論をして至つた終生の自己の論理、即ちentweder-oder(エントヴェーダー・オーダー)といふ三島由紀夫と同じ此の問題に対しては、AもBも否定をして、 AでもなくBでもない第三の客観(小説『榎本武揚』では、この主人公の求めた生き方を第三の道とも呼んでをりますが)に忠実に生きて、第三の客観、即ち自分が存在になつて観る対象を、ちょうど三島由紀夫の論理の陰画の論理として考ヘた其の論理を、即ち両極端を肯定するのではなく、否定をして、しかしやはり両極端に偏し執することを排したといふ意味では誠に同じく三島由紀夫に相似たる、しかし安部公房独自の、第三の道を歩みました。

安部公房の言葉によれば、誠に、あらゆる接点を共有してゐたにも拘らず、思考の方向が全く正反対に裏返しの二人です。[註3]これは、以上の言語論理的な理由によるのです。

三島邸の前庭にある星座12座に、三島由紀夫の大嫌いな蟹の絵があるのか、それなのに何故わざわざ其処に嫌ひな蟹が描かれてゐることがわかってゐるものを置いたのかといふ問ひに対する答へは、誠に深いものがあります。

[註3]
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より引用して、あらゆる接点を共有してゐたにも拘らず、思考の方向が全く正反対に裏返しの二人の姿をお伝へします。

「さて、こうして、この1950年代の日本共産党員時代の安部公房の文章を読み、そして同時に、安部公房のこの世での人生の完結した今その人生を俯瞰してみると、安部公房の人生にはふたつの節目があることが判ります。

ひとつ目は、1955年2月25日に『猛獣の心に計算機の手を』を書いて、魯迅の言葉の力を借りて、マルクス主義と日本共産党という閉鎖空間から脱出に成功して、安部公房がバロック的な作家(散文家)に変貌したとき

ふたつ目は、1970年11月25日に、あれほど論理と感情をお互いに理解することのでき、そして安部公房とはあらゆる接点を共有していながら安部公房とはすべての接点で正反対の方向(「彼との接点は、全部うらがえしになっている。」全集第29巻、73ページ下段)を持っていた、そして互いにその差異をも愉快に理解し合い共有していたこころの通った親しき友三島由紀夫が、市ヶ谷で切腹して、衝撃を受けた安部公房が、10代にリルケに学んだ通りに自分自身の固有の、そして無名の死を死ぬために、自分の人生を反省して、10代の詩の世界とリルケの純粋空間への回帰を決心したとき(三島由紀夫も日本の国の中に反乱の起こることを期待して、それが起こらずに幻滅し、絶望した人間です。これは、安部公房と全く同じ接点であり、方向が正反対の二人です。[註24])

[註24]
三島由紀夫の場合には、三島が現実に対して起こることを期待していたのは、左翼の過激派が暴徒化し警察力で抑えられない場合、自衛隊が治安出動することであり、更に、治安出動した自衛隊は憲法9条の改正を撤兵条件にし、国軍の地位を獲得するというシナリオでした。楯の会は警察力が潰えて自衛隊が治安出動するまでの間隙を自らの命を張って埋めるという目的を持って訓練していたと聞きます。そして、暴徒に素手で立ち向かい殺されることを本望としていました。

これが、三島由紀夫の描いたシナリオでした。

安部公房の場合には、安部公房が現実に対して起こることを期待していたのは、1957年に日本に革命が起きるという幻想でした。当時安部公房と親しかった画家、池田龍雄は、次のように回想しています。

「「もうすぐ、革命は近いよ」と、それが起こる可能性の年まで示して囁かれたときには、さすがに眉に唾を付けたものである。しかし、どこかでその気になっていたらしく、「1957年」という数字を読み込んだ暗号めいた文言が、わたしの当時の日記に残されているのは可笑しい。」(『安部公房を語る』所収の「詩的発明家--安部公房」、144ページ。あさひかわ社刊)

安部公房にも、同様にシナリオがありました。それは、専ら言語の側から描かれた革命のシナリオでした。

しかし、わたしが思わずにはいられないことは、このような天才と呼ぶべき、当時も今でも日本を代表する言語藝術家たちが、揃いも揃って、現実を信じすぎて、藝術の世界を踏み出して、現実と生きた人間に裏切られ、その命を喪い、また喪う危機に遭うことを承知で、みづから求めて死地に向かうということです。

このような三島由紀夫を自分の同類、即ち「戯曲以前に」「俳優が言葉による存在(原文傍点)でなければならない」(『前回の最後にかかげておいた応用問題ー周辺飛行19』。全集第24巻、176ページ上段)ということを十分深く理解していた三島由紀夫に対する安部公房の言葉が、やはり『反政治的な、あまりに反政治的な』にありますので、これを引用して、紹介します(全集第25巻、374下段~375ページ)。これは、三島由紀夫の死後6年経って、やっと書くことのできた、安部公房による鎮魂の文章です。

「ふと思う。ぼくらには案外根深い共通項があったのかもしれない。文学的にも思想的にも違っていたし、日常の趣味も違っていた。ぼくがカメラ・マニヤなら、彼は時計マニヤだった。ぼくが大の蟹好きなら、彼は大の蟹嫌いだった。しかし、ある種の存在(もしくは現象)に対する嫌悪感では、完全に一致していたように思う。いつか銀座のバーで飲んでいたとき、とつぜん二人同時に立ち上がってしまったことがある。同時にトイレに駆けこもうとしたのだ。理由に気付いて、大笑いになった。某評論家が入って来たところだった。
 ぼくらに共通していたのは、たぶん、文化の自己完結性に対する強い確信だったように思う。文化が文化以外の言葉で語られるのを聞くとき、彼はいつも感情的な拒絶反応を示した。しかもそうした拒絶反応が、しばしば三島擁護の口実に利用されたり、批判や攻撃の理由に使われたりしたのだから、ついには文化以外の場所でも武装せざるを得なくなったのも無理はない。それが有効な武装だったかどうかは、今は問うまい。安易な非政治的文化論の臭気に耐えるほど、鼻づまりの楽観主義者になるには、いささか純粋すぎたのだ。文化的政治論も、政治的文化論も、いずれ似たようなものである。
 反政治的な、あまりに反政治的な死であった。その死の上に、時はとどまり、当分過去にはなってくれそうにない。」

安部公房は、演劇論について、三島由紀夫と交わした議論を次のように話しています(『前回の最後にかかげておいた応用問題ー周辺飛行19』。全集第24巻、176ページ上段)。

「俳優が、言葉による存在(原文傍点)でなければならないのは、戯曲以前の問題なのである。と言っても、べつに驚く者はいないだろう。大半の俳優たちが、戯曲がなくても俳優は俳優だと信じ込んでいる。たしかに、言葉によって存在する(原文傍点)という条件さえ問わなければ、彼らもまた俳優にちがいない。この楽天主義が、ぼくを絶望させてしまうのだ。

 この問題を考えるたびに、しばしば三島由紀夫とかわした演劇論(というほど改まったものではないが)を思い出す。多くの面で、対立することの方が多かったが、言葉を喪った俳優に対する絶望という点では、いつも奇妙なくらい意見の一致をみたものだ。彼は、俳優の舌足らずを戯曲で補おうとして、ますますその結果に絶望し、ぼくは俳優の言語障害をパロディとして利用しようと試み、やはり絶望した。ぼくらはその絶望を酒の肴にして、大いにたのしみ、そのうち彼は演劇そのものに絶望してしまったようだが、ぼくは生きのびて、演劇のグループ結成という自己矛盾にまで足を突っ込んでしまう結果になった。彼が生きていたら、さぞかしあの高笑いを聞かせてくれたことだろう。」

これは俳優に求めた考えではありますが、しかし「言葉による存在」であること、そして「言葉によって存在する」こと、特に後者は戯曲と舞台の、前者は戯曲と舞台のみならず、そのまま小説についての、この二人の言語藝術家の共有する言葉と存在に関する考えであり、接点でありました。小説とは「言葉による存在」を創造すること、戯曲(drama、劇)と舞台は、役者が舞台の上で「言葉によって存在する」こと、そしてシナリオの執筆は、この二つの小説と戯曲について存在を媒介(函数)にして、この二つの領域を接続することだったのです。このことの、この時期の安部公房にとっての意義については、[註6]の安部公房の座談会での発言と[註17]の安部公房の書棚の写真をご覧ください。

この二つの転機がある、ということになります。」




上述の此の二人の思考論理の相違が、次の対談でよく現はれてゐて、三島由紀夫の読者ならば安部公房を、安部公房の読者ならば三島由紀夫を、深く理解するための縁(よすが)となりませう。

三島由紀夫は、1966年2月1日発行された『文藝』誌上で、次のやうな『二十世紀の文学』といふ誠に興味深い対談を、安部公房としてをります。今、この蟹といふイカロス感覚を書いて来て、かうしてみると、何故、三島由紀夫が対談の冒頭で安部公房に対して直截に真っ向空竹割ともいふべきやうに、「性の問題だね、結局、二十世紀の文学は」と話を切り出す理由が大変よくわかります。[註2]

それは、三島由紀夫は、安部公房と二人で話しをする時には、最初から安部公房と自分は詩人だといふ前提で話をしてゐるのです。それが、この冒頭の三島由紀夫の言葉の示すところです。率直な、胸襟を開いた親しい友人への言葉です。この言葉を聞くと、既にもう何度も会つて詩の話もし、1947年に安部公房が主催した「世紀の会」での最初の読書会で三島由紀夫の『夜の仕度』を含む短編集を批評の対象として取り上げた時に出会つて以来、リルケもヘルダーリンもニーチェもハイデッガーもカントも十分に語り尽して来た間柄なのだといふ事がよく判ります。
[註2]

『仮面の告白』についての、三島由紀夫の次の言葉があります。

「この本は私が今までそこに住んでゐた死の領域へ遺さうとする遺書だ。この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返る。この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である。

私は無益で精巧な一個の逆説だ。この小説はその生理学的証明である。私は詩人だと自分を考へるが、もしかすると私は詩そのものなのかもしれない。詩そのものは人類の恥部(セックス)に他ならないかもしれないから。

三島由紀夫「『仮面の告白』ノート」(『仮面の告白』月報)(河出書房、1949年)」[https://ja.wikipedia.org/wiki/仮面の告白]」




「安部 きみが剣道をする。(笑)剣道をする前は、剣道の一観客だつたにすぎない。
 三島 そうそう、観客だ。
 安部 それがある瞬間において、行為者に飛躍するわけだ。きみは有段者だけど、プロとは言えないが……。
 三島 まあ、それはいいよ。小説家にしておけよ。
 安部 で、小説家になったから、それでいま、小説家の立場で話しているが、しかし依然してきみのなかには、小説家に転化する以前の読者が住んでいる。
 三島 それはあるね。
 安部 その読者が、きみのなかの対話者になって生きている。生き続けている。だから、よく作家は、つまり自分自身のために書くと言ったり、いや、百万の読者のために書くとか、まあ、いろいろ言うが、これは全部嘘で、やはり自分の中の読者と対話していると思うのだ。この読者というのは、抽象的な全人類だよな。だから、きみがさっき、ベストセラーにならなくてもいいと言ったが、やはり抽象的理念においてはベストセラーとか、なんとかではなくて、全人類が読むべきものだ。
 三島 そうだよ。
 安部 そうでしょう。その、つまりおのれのなかの読者、というものが、僕は、伝承している主体だと思うのだ。作者ではなくて。だからきみが言っているように、出来上がった結果を受け継いでいるにしても、その受け継いでいる人間はさ、作者三島ではないのだ。きみの対話者なんだな。だからその対話者がきみであって、作家三島由紀夫は他者だよ。他人だよ。きみにとっては。
 三島 僕は僕自身の作品を絶対にエンジョイできないもの。
 安部 それは自己を分裂させた代償だよ。
 三島 ただ、きみの論理の構造というのはね、つまりきみ自身のなかにある読者、それはきみの一部分かも知れない。そういうものが読者という観念の、不特定多数人に象徴されるという考えだろう。
 安部 そうだそうだ。
 三島 そういう考えには、どうしてもついていけないのだ。
 安部 ついていかないと言ったって、きみだって、そうでなければ、書けるわけがないと思うよ。
 三島 そうかね。僕は、つまり、不特定多数人が僕に象徴されるという考えはとても好きだ。そういう自信はないけれども、そういう考えをもし持っていたら、幸せだと思う。
 安部 でも、今度のきみの芝居を読んで、つくづく思ったな、ああ、これは書かされた芝居だ、書いている芝居ではない。だからいんだよ。つまりね、作品として自立できる作品って、全部そうだよ。
 三島 無意識で……。
 安部 ベトナムあたりに行って、ガチャガチャ書いたものは、書いた作品だよ、あれは。
 三島 きみは、それは集合的無意識ということを言うの?
 安部 むずかしいこと言うなよ。そういう学術的用語を抜きにしてだな(笑)
 三島 僕は混沌がとてもいやなんだ。つまり、読者とかね。
 安部 読者は自己の主体で、作者は客体化された自己なんだよ。
 三島 とっても混沌というのは気味が悪いよ。
 安部 気味は悪いさ。
 三島 もちろんそれがいなければ、本が売れないのだけれども。
 安部 いや、そうじゃない。買ってくれないよ、その読者は。(笑)その読者は絶対に買ってく れる読者ではないのだよ。作者三島と対話するだけの、孤独な読者だよ。あんがいそれが本物のきみで、いましゃべっているきみというのは……。
 三島 芸術か、一つの。
 安部 君はさっき、理屈っぽく、アクションがこうあって、これも取り除いて、選んでと、いかにも意識的に書いているように言うけれども。
 三島 そういうふうに書いたんだよ。
 安部 信じないね。 
 三島 書いているところを見せたかったな、それは。(笑)
 安部 おれがにらんでいたら、きみ、一行も書けない。(笑)密室でなければ書けないよ、作家は。
 三島 もちろん密室だけれどもね、密室のなかの作家はだね……。
 安部 密室というのはどういうことかと言うと、対話だからだよ。そうだろう。
 三島 それはそうだ。芝居はそうに決まってる。 
 安部 小説だって同じさ。やはり三島由紀夫というのは、二人いるのだな。
 三島 おれは、だけどもう、無意識というのはなるたけ信じないようにしているのだ。
 安部 信じなくても、いるのだ。
 三島 そうか。無意識のなかに精神分析学者なり、精神病医なりが僕のなかに発見するものは、みんな僕が前から知っていると言いたいわけだな。だから無意識というものは、絶対におれにはないのだ……。
 安部 そんなバカな。
 三島 絶対にないのだ。
 安部 そんなむちゃな。この前の宇宙飛行士のようなことを言う。(笑)おれは宇宙飛行士がしゃくにさわったのだよ。おれが、おまえさん夢見ないかと聞いたのだ。宇宙のなかで寝るわけだよ。どんな夢を見たのかというと、おそらくおれは、地球のなかにいる夢を見たという答えをするだろうと思って言ったのだよ。そうしたら、傲然として、夢なんか見ませんでしたと言うのだな。そんなバカなことがあるわけはないのだよ。ただ夢を忘れただけの話で。だからしゃくにさわったから、言おうかと思ったが、最新のソ連医学ではね、夢は不可欠な休息の要因であって、休睡眠と脳睡眠とあるのだってね。それでね、つまり両方とも睡眠したら死んじゃうと言うのだ。死なないために、つまり体を完全に弛緩させるために、脳だけ起きているのが夢の状態で、それでバランスをとっている。脳を休めるときには、今度は体のほうをいくらか緊張させるというように、バラン
スをとってるわけだ。だから夢がなかったら休めない。両方とも眠っちゃたら死んでしまう。
 三島 そうか
 安部 それをソ連の医学で発表しているのに、ソ連の宇宙飛行士がおれは夢を見なかったというのは、科学に反するではないか。おそらく党の方針に反するのではないかと思ってね。
 三島 除名だ。(笑)
 安部 話がこういうふうに飛んじゃっちゃあまずいが、三島くんといえどもだよ……。
 三島 駄目だよ。おれは無意識はないよ。
 安部 そういう変な冗談を言うなよ。(笑)どうも、結末がつかないな。おれが主導権を取っておれば、結末をつけたけれども取られちゃったから、わからなくなったよ。
 三島 まあ、これでいいよ。それで、両方でケンカ別れでおしまい。
 安部 そういうことにしよう。絶対に無意識のないものはない、というところで。
 三島 どちらを結論にするか、そこが問題だな。(笑)」(傍線筆者)
(安部公房全集第20巻、80ページ~83ページ)


誠に、今のこの21世紀に読んでも楽しい、愉快な対談です。

この二人の書斎がどのやうな密室であつたのか、子供時代の高みの部屋であつたか(奉天の安部公房の子供部屋は二階にあつて、小学生の安部公房は二階の窓からよく出入りをしてをりました)、お納戸であつたか、その窓であつたかを、最後に再度、次の二行をご覧になつて、思ひ出して下されば、ありがたい。


安部公房 [塔(詩人の高み)、(部屋、窓)、反照、自己証認(identity)]
三島由紀夫[塔(詩人の高み)、(部屋(お納戸)、窗(高窓))、鏡、自己証認(identity)]