第10週: Widerspiele(敵対遊び)by Walter Hoellerer (1922-2003)
【原文】
Der Lattich blueht am Zaun.
Der weite Platz ist griebenbraun.
Es schwelt den Winter aus.
Der Lattich war mein Haus,
Das Latticheck.
Wir spielten dort zu zweit Versteck
im Maerz. Die Sonne schien
Gelbglaenzend, aber faul.
Der Fuhrmann schlug den Karrengaul.
Der zog den Muell, den Schutt.
Nach Staub rochs und Palmin,
Und ihre Puppe warf ich ihr kaputt.
【散文訳】
敵対遊び
レタスが、柵のところに咲いている。
広い場所は、明るい茶色をしている。
その場所は、冬をからからに乾かしている。
レタスは、わたしの家であった
レタスのある、その角っこは。
わたしたちは、そこで、ふたりづつに分かれて隠れんぼをして遊んだ。
それは、3月だった。太陽は輝き
黄色に輝いていたが、しかし腐っていた。
御者は、荷馬車の馬に鞭を当てた。
馬は、塵芥(じんかい)を運び、塵(ごみ)を運んだ。
埃(ほこり)臭く、椰子油(パーミン)の臭いがし、
そして、わたしは、それらの臭いの人形をぶん投げて壊してしまった。
【解釈と鑑賞】
この詩人のWikipediaです。
http://de.wikipedia.org/wiki/Walter_Höllerer
最後の「それらの臭いの人形」とは、比喩(metaphor)ととることもできるし、また実際にゴミで作った人形というようにもとることができます。
この詩の題名が、反対、反対する行動をとるということなので、この詩はなにを歌っているのかというと、小さな子供の、何かこう苛立つような、周囲に対する反発を歌っているのではないかと思います。
子供の不機嫌。
不機嫌から発する敵対的な遊戯、遊び。
その月が3月であること、早春の馬車馬。
日本人の早春と違って、きっとこの早春の荷馬車の馬は、何か鬱陶しいものなのでしょう。
そうして塵(ごみ)が、子供という存在と密接に関係しているように読むことができます。
大人になると忘れてしまうのですけれども。
わたしは、安部公房という詩人を思い出しました。