何度よんでもJack Derridaはいい。この引用は、Disseminationであるが、今手元にGrammatologyを引き寄せて読んでみようと頁をめくっているが、どうやっても本質的なことを論じる言葉ばかりである。曰く、
Socrates, he who does not write ------ Nietzsche
しかしなお執拗に、この段落を:
The khairein takes place in the name of truth: that is, in the name of knowledge of truth and, more precisely, of truth in the knowledge of the self. This is what Socrates explains (230a). But this imperative of self-knowledge is not first felt or dictated by any transparent immediacy of self-presence. It is not perceived. Only interpreted, read, deciphered. (Dissemination > Pharmakon by Jack Derrida)
さあて、自己を知るために、主語である支配者の秘密を知るために、今日も言葉の聖杯探究の旅に出よう。
さて、今日も、Joseph Brodskyの詩集SO FORTHからSo Forthの第2連を。これはベルリンの壁の崩壊した1989年の作品。やはり、どう考えても、政治の壁は、儚いものだとぼくは思う。すべて、このような無駄なことは、お金のためになされたことなのだということが、今よくわかる。そのようなもの達に災いあれ。本当に災いあれ。さあ、今日も一緒に垂直の旅に出よう。
Six Years LaterやOn LoveやA Songのように、少しづつ、1連づつ解釈してみよう。今日の解釈と翻訳を、こうして明日の種としたい。
本当の勝利者の名前だけを列挙した歴史書をぼくは書いてみたいものだと思う。
実は、世にある歴史書の主人公は、皆敗者なのではないか?素晴らしき、瞠目すべきJoseph Brodskyを。
【原文】
That goes for autumn; that goes for time per se,
like when you quit smoking, or else when the trees you see
ape fanning-out tracks at last freed of their wheelsユ malfunction
and the edge of the forest echoes a rustling junction.
And itユs not a lump but a hedgehog that fills your throat,
for you canユt enjoy any longer the silhouette
of a steamship at sea, and an airplaneユs callous
profile looks odd on high, having lost its halos.
【訳】
その総体が、秋という方向に向かい、その意味をなしながら、なす、なして動く、終わらないままに。なぜならば、その総体は、時間自体、時間の本質に向かい、その意味をなしながら、なす、なして動く、終わらないままに、であるからだ。それは丁度お前が煙草をやめるときみたいに、または、おまえが目にする木々が、季節の輪廻の環に合わせて回転するのを誤つことから自由になって、つまりは季節変動に影響されることなく、ついには、風に舞って落ちその軌道をそのまま複製するとき、そうして、森の縁(へり)が、かさこそと接続する山びこ、echoを反響させて返して来る、そのようなときみたいに、それの総体は、時間の本質へと向かい、指し示すのだ。
AND、且つ、お前の喉を一杯にするのは、何かの塊ではなくて、何かの毛虫ごときものなのだ、というのも、お前は、もはや、海をゆく蒸気船の影絵、横顔をみても、こころ楽しむことがなく、また飛行機の外皮の厚い横顔をみて、その主要な仕様がどれ位高く飛べるにせよ、高く飛んでその影絵のコロナを失って、何か感動のないものとなって見える。
【解釈】
1. Thatとは何か
そうして、第3連で、この関係の総体を、Brodskyは、Thatと呼ぶのだ。
That (The point, Not, And, But)
という関係を。
そうして、That goes for autumn; that goes for time per seと。
さあ、続けよう。その総体が、秋という方向に向かい、その意味をなしながら、なす、なして動く、終わらないままに。なぜならば、その総体は、時間自体、時間の本質に向かい、その意味をなしながら、なす、なして動く、終わらないままに、であるからだ。
これが第3連の第1行の意味だ。
2. その文は、一体どのようなpointを指し示しているというのだろうか。
それは、お前が喫煙を止めたときのように。実は、quit smokingであって、stop smokingなのではない。だから、喫煙、煙草を吸うという行為は、だれかがどこかで、あるいはそこここで継続しているのだけれども、わたしはそこ行為を去った、quitした、精算したのだという意味である。
3. または、おまえが目にする木々が、季節の輪廻の環に合わせて回転するのを誤つことから自由になって、ついには、風に舞って落ちその軌道をそのま複製するとき、そうして、森の縁(へり)が、かさこそと接続する山びこ、echoを反響させて返して来る、そのようなときみたいに、それの総体は、時間の本質へと向かい、指し示すのだ。
Trackは、trainやrailの縁語である。詩人はどこまでも執拗であり、執着心を失わない。この素晴らしい言語能力にぼくは驚嘆する。如何に隠しても、謙虚であっても、地下水脈は涸れることはない。豚は木に登らない。
4.an airplaneユs callous
profile looks odd on high, having lost its halos.
これは、訳のように訳したが、まだ確信がない。もう少し時間を必要とする。訳が完全に誤りだとは思わない。付言すれば、airplaneが高くあがるという意味と、looking odd on highで、その感情のたかぶりがないというのと、oddということからマイナスプラスの奇数で、2によって割る事ができない数字という意味からの奇妙な感じが一緒に掛け合わされているのかと思う。それから関数において、計算結果としてマイナスとプラスであろうと互いにその絶対値が不変であるような関係とその関係の打ち出す値。それが、森の縁辺で生まれるエコー,山びこ、反響だといっているのだ。これが、the point、なぜならば、それはjucntionであり、何かが終わり、何かが始まるその点であるからだ。それが、既にして予測されているポイント、現実を産み出すポイントだ。季節は繰り返し、森の中で狩りをして、鳥を撃とうと狙いすまして、撃ってはいけないので、いや撃ち過ぎてはいけないのだ、酸素を肺一杯に吸い込む事の方が大切なのだ。何故ならばノノ。こうして、この連も第1連に戻る。最後の連と同様に。
【語釈】
11-1 ape
11-2 fan
11-3 track
11-4 junction
11-5 rustle
12. hedgehog
12-1 callous
12-1.1 callus
13. profile
14. odd
15. halo
15-1 odd
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