今年31年ぶりであったドイツの友人からもらった2011年53週からなる詩のカレンダーの第1週目の詩を訳し、解釈をつけます。
ドイツのこのカレンダーは、第1週が既にこの12月27日からの1週間で始まり、新年は元旦と2日までとなっています。
新年3日の週にはもうすぐに第2週の詩を上梓しなければならないということで、今日は、その最初の詩です。これは、結構大変です。
というわけで、少しあわてております。
【原文】
Leere Haende
by Ko Un
Im Schneegestoeber
begruesse ich den fruehen Morgen des neujahrstages,
gemeinsam mit Frau und Tochter wandere ich
zu einem Huegel.
Dabei denke ich an meine uebermaessigen Wuensche.
Wusste ich nicht, dass leere Haende leicht und frei machen,
so leicht, dass ich im Moment abheben konnte?
【散文訳】
猛烈な吹雪の中で
わたしは新年の朝に挨拶をする
妻と娘と一緒に
わたしはとある山へと歩いて行くのだ
そうしながら、わたしは余りある願いのことを考えている。
空(から)の両の手が、軽く、そして自由にするので、
かくも軽くするので、わたしが今この瞬間に
こうして始めることができたということを
わたしは知らなかったであろうか?
(いや、この山に来る前に既に知っていたのだ。
わたしは、何も両手に所有していないのだから。)
【散文訳】
猛烈な吹雪の中で
わたしは新年の朝に挨拶をする
妻と娘と一緒に
わたしはとある山へと歩いて行くのだ
そうしながら、わたしは余りある願いのことを考えている。
空(から)の両の手が、軽く、そして自由にするので、
かくも軽くするので、わたしが今この瞬間に
こうして始めることができたということを
わたしは知らなかったであろうか?
(いや、この山に来る前に既に知っていたのだ。
わたしは、何も両手に所有していないのだから。)
【解釈】
Ko Unとアルファベティカルに書かれた名前だが、これは多分中国の詩人であろうと思う。
きっと中国では、元旦にでも、近くの山に登って、日本ならば初日の出を拝むような習俗があるのだろうと思う。
その山に登って(その山もやはりきちんと意義のある山であって)、新年の願いごとをするとみえる。
その日は、吹雪であった。いや、吹雪である。この詩の時制は現在。最初の2連は現在である。
最後の連、第3連のみが過去である。
ということは、最後の連で、去年を、またそれ以前の自分自身の過去を振り返って、そのように思ったということなのだろう。
実は、3連目のふたつの他動詞、一つ目はmachen、マッヘン、二つ目はabheben、アプへーベンは、目的語を持っていない。敢えて目的語を入れなかったのだと思う。
そのために、動詞の意味の輪郭が明瞭ではなくなっている。
これも詩人の意図するところだと思う。
それは、前の2連の現在形から推量する以外にはない。
前の2連の言葉はこうである。
猛烈な吹雪にも拘らず、新年のお参りに戸外に出て行くということは、余程の決心である。
それも、翻訳ではうまく出ていないが、「新年の日の早朝に挨拶する」というところの「早朝に」の助詞「に」は、そのときにという意味ではなく、文字通りに早い朝に対して挨拶をするという意味である。
それほどの思いの強い新年の朝への挨拶なのだ。
それも、伝統的な習俗に従って、小高い山に登るのだ。
妻と娘と一緒に、わたしは、山に(あるいは丘に)歩き行く。
「歩いてゆくのだ」と訳した動詞は、wandern、ヴァンデルンであって、これはヴァンダーフォーゲルという日本語にもある通り、これは、決まりきった、或いはあらかじめ決められた、分かりきった道を真っ直ぐに、一直線に行くのではない。
旅をする、放浪するという含意があることからわかるように、道を探して、或いは道を求めて、道を確かめながら、歩くという意味だ。大きくは、遍歴するという意味もある。
この徒歩(かち)で行くのは、人生の旅で、妻と娘と一緒に、そこの、登れば、登って新年の朝に挨拶すれば得られる何ものかを求めて、わたしは旅に出ているのではないだろうか。
さて、山に登りながら、余りある願いごとをあれこれと思ってみたが、登らなくとも、あるいは既にして登る前に、わたしは、次のことを知っていなかったであろうか、いや知っていたに違いない。と、そう歌っている。
それは、両の手が何も所有していなければ、その手は、かくも軽く、自由にしてくれて、それは
余りに軽くしてくれるので、今この瞬間に何ということはなく、このように(吹雪の中、困難な道を来て)易々と始めることができたのだということを。
Abheben、アプへーベンを仮に、始めると訳したけれども、この言葉を始めるなどと包括的な意味のある言葉にして、その動詞の複数の意味するところをまとめてしまうと、やはり却ってその意義、即ち本来の意味が薄れて行くようである。
ご参考までに、英語で類義語を挙げると次のような語が並びます。
Lift, raise, bast off(space rocket), take off(lid, cover, etc), slip(knitting), draw out(money from bank), pick up(phone, card), get off
このわたしは、何かを求めて決心するものがあるのだと思われる。
それでも、いざ願いごととなると思いはあれもこれもと思うのだ。
この山には不定冠詞がついているので、必ずしも土地のひとたちが習俗的に、習慣的に毎年行く、習い覚えた山ではない。わたしが任意に選んだ山だということがわかる。初めて登る山かも知れない。
あるいは、この不定冠詞は、わたしが敢えて、読者にその山がどの山かを知らせまいとして、そのように表したのかも知れない。この解釈ならば、その願いも一層の秘め事ということになるだろう。
最後の過去形の反語的疑問文の意味するところは、このように吹雪も吹き、しかも初めてでもある困難な道を、毎年新年にはひとのするように山に登ろうとやってみて、しかも妻と娘も伴って、と、そのようなこころがあるのならば、既に答えは、出ていたのだ、何もない両手がかくも易々と自由にしてくれていたのだ、と、そのような意味ではないかと思う。
空(から)の両手は、わたしの空の両手とはいっていないのが味噌だと思う。
無冠詞で、空の両手だといっているのだ。
もっと言えば、いつも、わたしが俺は何も手にしていない奴だなあと繰り返し思っていたとしたら(石川啄木の歌にあるようなことだが)、ドイツ語では無冠詞になると思う。啄木は、じっと手をみた。わが手とはいっていない。同じように、単に(空の)手ということで、手というものが自分の手であることを超えて、何もなさ過ぎて、もうなんということもなくなっている、そんな手になるのではないだろうか。
こうして読んでみると、この手のことばかりというわけではないが、この作品が詩であるのは、表現が作者の個人的な体験に留まっていないからだということができる。
追伸:
第1連の「わたしは新年の朝に挨拶をする/妻と娘と一緒に」というところは、ドイツ語で音読して聴くと、妻と娘と一緒に、わたしが新年の朝に挨拶をするように(時間の中では)聞こえます。
そのように詩人が意図的に詠んだということだと思う。文法的には、ふたりと一緒に山に登るのであるが。
原文の第1連の2行目の最後のコンマは、そのような意味であり、そのような働きをしている。文が切れていないのです。
追伸2:Ko Unというひとは、高銀といい、韓国の有名な詩人だということを後で知りました。Wikipediaに掲載があります。:http://en.wikipedia.org/wiki/Ko_Un
自分自身の人生を生きるために、自分の言葉を持て。そして、歳とともに、過激になれ。世界を変形させる為に。Have your own words to live your unique life! And be radical as you are getting older in order to transform the world!
2010年12月31日金曜日
2010年12月30日木曜日
日本語の詩は何故改行するのか、できるのか?
今日も歳末とて午前中大掃除。
その間、頭をよぎることあり。
それは、日本語の詩の改行の問題です。
文書を整理していたら、banさんから戴いた立教大学の詩の講座での教科書が出てきて、そこに秋山基夫さんの「詩行論」の引用があり、再度この問題について考えたい。
とはいえ、あるいは備忘のようなものになるかも知れない。
最新のtabの編集後記、confidenceに書いたわたしの文章をまづ引用します。
「リルケのオルフェウスへのソネットを訳していて思ったことで
あるが、ヨーロッパの詩は脚韻を踏むので、改行しなければ
ならない。改行するのは、脚韻を踏むためである。
これに対して、日本語の詩は何故改行するのであろうか。
ヨーロッパの詩の真似をして改行しなければならないから
改行しているのだろうか。改行する必然的な理由は
なんだろう。脚韻ではない。
今芭蕉七部集を読んでいるので、連句のことを思った。これは、改行の連なりである。付合という必然的な理由がある。
日本人の書く改行詩にある深層意識は、これではないのだろうか。
これは、視点を変えてみれば、モード(話法)の変換の連続ということである。これが連句、俳諧だと思い、日本語の詩の急所、エッセンスだと思う。
そうであれば、それを意識して書けば日本語の詩になるのではないかと思った。」
ここで言っていることは、
1. 日本語の詩は何故改行するのか?という問い。
2. モード(話法)の転換ということなら詩の改行はあり得るということ。
このふたつのことを言っている。
もっと言えば、西脇順三郎の詩の改行は、上の2に当たっているのではないかということです。
さて、秋山さんの詩行論から以下に孫引きします。
「朔太郎の文語詩から口語詩への移行は、文語の美意識の破壊、口語による詩の創造という二段階であった。」
「朔太郎が口語によって詩を書いたとき、文語の場合のように七五などの句を単位として行の長さを決めるわけにはいかなかったこと、にもかかわらず行わけの詩を書いたのだということ、この当然と見えるところに、実は、現在にいたるまで持ちこされた問題の核心があるのだ。連用形を多用すれば、当然そこに脚韻のようなものの、規則化されないその時限りの押韻の効果はあるだろう。また、一行が何によって終わるのか、それを決めることにもなるだろう。しかし、それがただちに、行の長さを決めるすべてにはならないのだ。」
詩と対極にある典型的な散文の文章を想像してみて、もし改行せよといわれて、詩のように改行するとしたら、その区切りの理由は、明確に次のようになるだろう。
1. 主文をひとつ提示する(提示して一行を終わる)
2. 主文と従属文を分けて改行する。
3. 更に、従属文の中の主語と述語で分けて改行する。
例を即興でつくってみると、
今日詩の教室へ行くと
先生が先に来ていたので
おはようございますと
挨拶をした。
というようにです。
同じbanさんの資料にある倉田比羽子さんの「脱落」という詩の、引用されている最初の二行は、次のようになっています。これは、散文でいう上の2の例です。
「わたしは 鏡のなかのその人に慎み深くわたしと呼びかけるだろうから
呼ぶ声は夜明けの航跡 光を導く愛の触媒となってふり返る」
ここでは、形式上、詩と散文の区別はつかない。
この一文(実際には二行の文。しかし、ひとつのセンテンス)が詩であるとしたら、それは何によっているのだろうか。
形式でなければ、実質によるのだという議論になるだろう。
そうして、詩とは何かを定義しなければならなくなり、詩といっても、その言葉の下で、詩の精神、Poesie、詩の制作、詩作品のいづれかを言っているという議論になるだろう。
(詩の定義については、我が詩文楽を御覧ください:
そうすると、ここで問題になるのは、詩の精神とポエジーである。
上の倉田比羽子さんの一行は、ポエジーを有するか?また詩の精神の発露があるか?ということが問われることになる。
わたしの詩文楽の詩の定義によれば、詩は典型的には隠喩(メタファー)によって現れるので、この詩の一行にそれがあれば詩だということになる。
確かにそうみれば、特に主文(2行目の行)は、隠喩の連鎖である。
(この稿続く。)
追伸:詩文楽の詩の定義を、備忘的に、そのままここに転記します。
「2009年10月28日水曜日
詩を、また詩について、書くことについて
リルケの詩について書きながら、あれこれ詩と詩について考えて得たもの、得たことがある。詩とは、ポエジーと詩作品または詩作という意味です。ひとによっては、詩精神という意味まで、詩という一語に籠めているひとがいるように見える。さて、ここで、中間地点で、小さなまとめを記しておきたい。それは、次のような定義です。
1.詩とは、連想の芸術である。
2.詩心とは、無媒介のこころである。
3.分類とは、概念を定義することである。
1の定義は、連想ということから、これは隠喩のありかを既に伝えている一行(センテンス)なり。この定義の中の詩とは、詩作品または詩作という意味です。
2の定義は、これはこの通り。直かなこころのことである。普通は、この世にはない。よほどのことがなければ。人は普通は、媒介、媒体を通じてまた共有して、意思疎通を図っているから。その形式が、ことばと文法ならば、主語と述語ということ。詩は、そうではない。
3の定義は、これは、隠喩の形式でもある。隠喩は、このように、これほど、詩人の宝なり。この定義から、隠喩はまた連想でもあるということが判る。1の定義と実は、同じことを言っている。かくも姿が異なるけれども。
(実は、ひとつのことを、敢て、三つに分けたものである。)」
登録:
投稿 (Atom)