2009年6月21日日曜日

天使と死者を語る前に


昨日は、天使を論じ、いやその前に若い死者たち(と仮に、今呼んでおく)、のことを話さなければならないので、悲歌1番の最後の連から今日は始めようと書き、自分でもそう思っていのだが、しかし、これがやはり難しい。

わたしがわかっていても、それを人に伝える順序があるだろう、それが悲歌1番最後の連を次に説明することだという考えだったのだが、いざ筆を持って書こうとすると、その前の連、若い死者たちのなすこと、死者たちのなす稀な、普通生きている人間ならばそんな行為はまづしないという行為の列挙の連を説明しなければならないし、その方がよいと思われた。またこの連には、生きているもの、正確にはリルケは生きているもの、生者とは書いていなくて、活き活きしているものたちといっているのだが、それは、本当は生と死はわけることができないから、そのような活き活きしているものという言葉づかいをしているのだが、若い死者たちと、(そのような意味での)生きている者との相違が述べられている。

といったことを、やはり詩の書かれている順番に読んでくる方がよいのではないか、そうして最後の連を読み、そこに歌われている若い死者たちのことに至って、死者の説明をし、そうして、それとの相違を読み取って、それでは、天使はどのような存在かについて話をするほうがよいのではないかと考えた。

しかし、それならば、3連目から若い死者たちが登場するのだから、もういっそのこと、昨日の1連の続き、2連目から一挙に最後の連まで訳して、一度詩の流れを読んでから、最初の天使の問いに向かうのがよいだろうかとも考えた。しかし、そうなると悲歌2番に飛ばなければならないので、また悲歌2番をみな最初から訳するかという考えにもなるのだった。実にむつかしい。わたしの解ったことを、義経の八艘飛びで話しをしても、読者に伝わらないのではないかということが心配になるのだ。

あれこれと考えたあげく、こうすることにした。実は、天使と若き死者たちの違いを説明するためには、リルケが多用し、愛用、愛着しているといっていいあるドイツ語のひとつの言葉の説明をするのがよい、ここから入るのがよいのではないかと思いついたのだ。
(もし、ここから先、このやり方でうまくゆかないことがあれば、それはそのときにまた考えよう。わが意を伝えるために、性急になることは避けよう。ゆっくり行くことにしよう。)

それは、Fruehe、フリューエという言葉です。これは大文字で書き始めれば、名詞で、早い時期、早期、揺籃期、人生の最初の時期(リルケは悲歌の中では人間の大切な時期と考えている)、子供時代、いや子供時代でももっと早い時期の子供の時期、あるいは人生を四季にみたてれば、青春時代という意味にもなりえるでしょう、そのような言葉です。
他方、Fruehe,フリューエには、もうひとつの品詞、副詞としての意味があり、それは、上の名詞の意味から察せられるような、副詞の意味となるのです。副詞ですからもちろん動詞にかかります。

これを何故最初にいうかというと、次のような理由によるのです。

悲歌1番の最後の連の第1行は、次のように歌われています。ここは、若い死者たちとわたしたちとはどこが違い、わたしたちとはどういう人間かを歌っているところでもありますので、まとめて連ごと訳しますが、この若い死者たちと天使たちの相違が、このFruehe、フリューエという言葉、名詞と副詞によって、それぞれの相違が分けられているのです。この相違は、天使という言葉や若い死者たちという言葉相互の中から異なる意味が生まれているのではなく、リルケという詩人の、このFruehe、フリューエという言葉を大切に思い、この言葉に読み取る意味を用いて、天使と若い死者たちの相違を色分けしてみせたということなのです。リルケは、天使は勿論ですが、ほかにも幾つもの、自分で概念化して愛用する言葉を、例えば、既に1連目で出てきた、留まる(bleiben、ブライベン)とか、叫ぶ、叫び(Schrei、シュライ)とか、世界(Welt、ヴェルト)とか、動物(Tier、ティーア)とか、親密な(innig、イニッヒ)とか、観る(Zuschauen、ツーシャオエン)とか、まだまだいろいろ悲歌の中で使っていますが、Fruehe、フリューエは、それらの言葉のひとつです。リルケ概念用語辞典という辞典を編纂することができます。結局、リルケの詩の解釈には、その辞典(紙では実際に存在しないけれども)を使うことになるのです。

「早い時期、人生の早い時期(Fruhe)、揺籃期を動かされ、遠ざけられた人間、奪われた人間たちは、(4連に歌われた若い死者たちのありかたからいっても)、結局わたしたちをもはや必要とはしないのだ。このものたちは、丁度母親の胸から柔らかく離れて成長してゆくように、地上的な習慣から優しく離れてゆくからだ。しかし、それに対して、わたしたちは、かくも偉大な秘密を必要としているわたしたちは、そして、その秘密から、悲しみを以って(悲しみの中から)、このようにしばしば神聖なる進歩、前進が、生まれ出るわたしたちは、この揺籃期を奪われた人間たちなしで存在することができようか、できる筈がないのだ。(その秘密とはどのような秘密かというと)かつてリノスを巡っての嘆きの中で、勇敢な、敢然たる最初の音楽が、干からびた、死して硬直した凝固の中を浸透し、全く満たしたという、あの伝説は、無駄だったのだろうか。(そうではないだろう。)また、ほとんど神のような若者が突然永遠に出て行ったその驚愕し、恐怖した空間の中にやっと、空虚なるものが、今やわたしたちのこころを奪い、慰め、そしてわたしたちを助ける、あの振動の状態へと陥ったという伝説は、無駄であったのだろうか。(そうではないだろう。)」

リルケは、上の訳したように、「早い時期、人生の早い時期(Fruhe)、揺籃期を動かされ、遠ざけられた人間、奪われた人間たち」を、3連で、はじめて呼ぶときには、お前という2人称に呼びかける形で、お前と俺、わたしたちの間では既に知っている、「あの若い死者たち」から、今、その死者たちがざわめく音、声がお前に聞こえてくる。
と、「あの若い死者たち」として歌われています。この一行が、どのような文脈の中で歌われているかは、やはり連を順々に読んでいかなければなりませんし、その理解も、この最後の連の理解には関係してくるのですが、それはまた後述するか、必ずどこかですべての悲歌の連を訳すこととしておいて、話を先へ進めます。

リルケは、4連「あの若い死者たち」を、最後の連で「早い時期、人生の早い時期(Fruhe)、揺籃期を動かされ、遠ざけられた人間、奪われた人間たち」と言い換えているのです。

しかし、正確に理解すると、前者と後者では、やはり違いがあって、後者の言い換えは、もう少し幅の広い解釈をゆるすのだとわたしは考えています。それを考えることは、詩中の人称、わたしたちとわたしのあり方を考えることなのですが、一言で言うと、後者には、二つの意味があって、ひとつは、前者と同じ、若くして死者になった若い死者たちという意味、もうひとつは、人生の大切な揺籃期、子供の時期に、何かの理由で(それはひとによって様々だと思いますが)、死んで生きることを強いられた人間、そのように生きることを余儀なくされて生きている人間たち、死んだように生きている人間たちという意味をも読むことができると思います。そのために、子供なのに、あるい青春であるのに、死について深く考えることを強いられた、そのように考えた人間。これは、実は、リルケ自身の姿ではないかと、わたしは思っています。リルケの伝記的事実をわたしはほとんど何も知りませんけれども。

ここのところは、リルケも悲歌において微妙に筆先を変えるのです。

後者の意味も含む、同じ若い死者たちの言い換えは、ほかにも出てきていて、悲歌6番の2連には、英雄とほとんど同じように似た存在としてある若い死者たちが出てきます。Die fruehe Hinueberbestimmetenfrueheは副詞で、Hinueberbestimmteにかかります。早い時期に、向こう側、彼岸へ行くことが決まっているひとたちという意味です。これは、死んでいるとは限りません。そう決定されているというだけの言い方です。

続いて同じ悲歌6番の3連には、die jugendlich Totenとして、やはり英雄によく似ているとして類似の表現が出てきますが、これは、jugendlichが副詞ですので、Toteにかかって、若くして死者であるひとたちという意味になります。これを早死にして、この世にいないひとたちと一意的にとることは、どうだろうかとわたしは思います。

それから、悲歌10番の最後から2連目にも、die jungen Toten、これは、若い死者たちがあります。

いづれにせよ、この若い死者たちは、生きているのです。そうして、わたしたちやわたしの前に姿を現す、そのような存在です。さて、そのようなわたしたちや、その中のひとりであるわたしとは、一体どのような人間なのでしょうか。

わたしは、上で、揺籃期を奪われた人間というひとたちの解釈のふたつめ、後者の解釈をしているのは、悲歌4番に人形劇のことが歌われていて、そこにいる一人称は、もう人形劇はおしまいだよといわれても、ずっとそこにbleiben、ブライベン、留まって観続ける、そのようなわたしなのですが、これは、悲歌1番の4連目に歌われている、若い死者たちと同じ行いを、奇妙な論理の反転でありますが、留まることで、死者の立場にいるわたしとして、そこにいると解釈することができるからです。生の中にはいないが、その外に、観るものとして、留まるわたし。観るという行為は必ず、なにがなんでも必要であり、存在するべきものだと強く考えて。これは、他面、以下に述べるように、悲しい行為でもあるのだと思います。

もしこのようなわたしという人間の解釈が正しいとしたならば、わたしたちと言っているひとたちも含め、若い死者たちとの関係は、そのような関係であるということになります。

生きた人間であるのに、死者と、若い死者たちと親しく、また、天使をみることに恐怖を感じる人間。

何故天使は恐ろしいと思うのでしょうか。上に訳した悲歌1番の最後の連に歌われているように、またそもそも最初の連に歌われているように、それは自分自身が死ぬことになるからです。ですから、それは死に対する恐怖です。

しかし、冒頭の恐怖はそうであっても、同じ悲歌1番の最後の連では違います。それは、大いなる秘密を必要しているのが、われわれでしたが、しかし、その秘密とは何でしょうか。それが、最後の連の後半にあるふたつの伝説の話です。これらの秘密から、そして悲しみの中から(aus Trauer)、わたしたちの進歩、前進が、生まれると歌われています。ここ、これが、この10の詩篇の全体が、Elegien、悲歌と呼ばれている由縁なのだと思います。わたしたちが悲しむべき、その秘密とは何でしょうか。

このふたつのエピソードは、岩波文庫版の手塚訳にある註釈(99ページ)によれば、いづれも、リノスという神的な、美しいひとりの男性の話であるようです。その深い意味は、リノスという美しい青年に関する嘆き(ここで既に悲歌10番が予定されているのです)の中にあって、音楽の力が生を新しくしたこと、それから、リノスが若くして死ななければならなくなり、そうして死んだという行為から、複数2人称のわたしたちにとって、どんな恩恵が生まれるかが歌ってあるというところにあります。

この青年が永遠にその空間を去る、すなわちこれが死ぬということを意味しているのでしょう、しかし、そのときその空間が驚いて(リルケの詩では、空間も生きています。眼に見えないものーこの表現も悲歌中のあちこちにunsichtbar、ウンジヒトバールとして出てきますがー)との交流)、そうして初めて、わたしたちは慰めを得るのです。このような生のありかたが、わたしやわたしたちの死に対する恐怖を克服するために語られているのだと思います。

上で空間が驚く、恐怖心を抱くと歌われていますが、これは原文は、im erschrockenen Raumというところですが、erschrockenenは、動詞erschreckenの過去分詞、とこうしてみるとお分かりかもしれませんが、schrecklich、1連目の冒頭の、天使は恐ろしいと歌ったときの、恐ろしい、schrecklichと縁語なのです。リルケは、この驚く、驚き、恐怖するこころ、恐怖心に深い意味をみたのだと思います。単に天使が恐ろしいというだけではないのです。わたし、わたしたちには、恐ろしいという恐怖心がおきますが、それは既にわたしやわたしたちにとっては、身を滅ぼすことによってなる何か新しいことへの感情でもあるのです。その理由は、以上述べてきた通りです。

さて、これが、天使とわたしまたはわたしたちの関係です。

それでは、若い死者たちと、天使の関係はどうなっているのでしょうか。

これには、悲歌2番の1連目と2連目、特に2連目を考察しなければなりません。
2連目の最初には、1連目の最後でわたしが天使に向かって、お前たちは何者なんだと問い、それに対する答えを自分で答えて、2連目の最初は、次の言葉で始まっているのです。

Fruehe Geglueckte

天使とは、その人生の早い子供の時期、揺籃期に、若い死者たちのようにそれが奪われるのではなく、反対にうまく行ったものたち、Geglueckteは、gluecken、成功する、うまく行く、栄えるという自動詞の過去分詞からつくられた名詞ですが、そのように幸福が約束されているひとたちという意味です。天使がひとだとして。最初のFrueheは、今日上のどこかで説明したように、これは副詞で、Geglueckteに掛かるのです。

この、若い死者たちと対をなす言葉を、手塚訳では、

「おんみらこそ創世の傑作」

古井訳は、

「黎明に生まれ合わせ、御身たち」

となっています。

手塚訳では、Frueheを創生ととったのです。古井訳は、手塚訳と同じように宇宙を創世するときのはじめにうまくいったものたち、生まれ合わせた幸せ者という意味で訳しています。

わたしは、散文的な人間なので、この呼びかけの最初の言葉を単純に、悲歌の中でのFrueheの使い方から、以上のように理解をしましたが、ほかのあちこちにあるFrueheの話はまた別の文脈ですることにして(なにしろリルケの言葉は網の目のように互いに関係づけられている)、さて、悲歌21連、2連の天使の話は、また次回といたします。

2009年6月20日土曜日

悲歌1番1連(1)

悲歌11
【原文】
Wer, wenn ich schriee, hörte mich denn aus der Engel
Ordnungen? und gesetzt selbst, es nähme
einer mich plötzlich ans Herz: ich verginge von seinem
stärkeren Dasein. Denn das Schöne ist nichts
als des Schrecklichen Anfang, den wir noch grade ertragen,
und wir bewundern es so, weil es gelassen verschmäht,
uns zu zerstören. Ein jeder Engel ist schrecklich.
Und so verhalt ich mich denn und verschlucke den Lockruf
dunkelen Schluchzens. Ach, wen vermögen
wir denn zu brauchen? Engel nicht, Menschen nicht,
und die findigen Tiere merken es schon,
daß wir nicht sehr verläßlich zu Haus sind
in der gedeuteten Welt. Es bleibt uns vielleicht
irgend ein Baum an dem Abhang, daß wir ihn täglich
wiedersähen; es bleibt uns die Straße von gestern
und das verzogene Treusein einer Gewohnheit,
der es bei uns gefiel, und so blieb sie und ging nicht.
O und die Nacht, die Nacht, wenn der Wind voller Weltraum
uns am Angesicht zehrt -, wem bliebe sie nicht, die ersehnte,
sanft enttäuschende, welche dem einzelnen Herzen
mühsam bevorsteht. Ist sie den Liebenden leichter?
Ach, sie verdecken sich nur mit einander ihr Los.
Weißt du's noch nicht? Wirf aus den Armen die Leere
zu den Räumen hinzu, die wir atmen; vielleicht daß die Vögel
die erweiterte Luft fühlen mit innigerm Flug.

【散文訳】
もしわたしが叫んだならば、天使たちの位階の秩序のいづれの天使が、わたしのこの叫び声を聞いてくれるだろうか、そして(来る筈はないが)たとえ仮にその天使たちのひとりが突然やってきて、わたしをその心臓、その胸に抱いたとしても、わたしは、天使の今ここにそのようにしてあるあり方が、わたしの同じあり方よりも強いので、わたしは衰弱し、滅んでしまうだろう。なぜならば、美しいもの、美しきものは、驚くべきこと、恐ろしいことの始まり以外のなにものでもないからであり、わたしたちは、かろうじてその始まりには堪えるし、またそのように、美しきものに驚くわけだが、それは、美しきものが、わたしたちを破壊することを、平然と軽んじ、無視しているからなのだ。ひとりひとりの天使はどの位階の天使であっても恐ろしい。そうして、そうであれば、そのようにわたしは振舞い、暗いすすり泣きの叫び声、天使をわざわざ呼ぶようなすすり泣きの呼び声をたてずに飲み込むのだ。ああ、わたしたちは一体だれを必要としているのだろう。天使ではなく、人間でもないことは明らかだ。しかし、目ざとい動物たちは、わたしたちが、この解釈された世界の中で、どんなところであれ棲みかとしているところでは、余り信頼がおけないということに既に気づいている。ひょっとしたら、わたしたちが毎日なんども見ているのだとして、それが崖に掛かった一本の何かの木ならば、わたしたちのところに留まるかも知れないし、昨日通った通りが、わたしたちのもとに留まることがあるし、それから、わたしたちのところで気に入られた習慣があって、その習慣が、歪んでいても、信頼のおける存在であったのであれば、実際そのようにその習慣は残って留まったし、去ることがなかった。ああ、そして夜だ、夜だ、宇宙空間で一杯になった風が、わたしたちの顔を食み、食い尽くすたびごとに、夜が来る。夜ならば、だれのもとに留まらないだろうか、この待ち焦がれた夜、優しく幻滅させる夜は、ばらばらになった孤独なこころの前に、苦しみ疲れて立つ夜は。愛する人たちのもとでは、そうではなく、夜はもっと軽いのだろうか。なにを言っているんだ、愛するひとたちというのは、自分たちの運命を、ただ狭く互いに隠しあっているだけではないか。お前は、それにまだ気づかないのか。だったら、わたしたちのこうして呼吸している数多くの空間に向けて、両の腕の中から外へと、空(から)の空間を投げつけて付け加えてみるがいい。ひょっとしたら、それで、鳥たちが、よりひろくなった空気を感じるかも知れない。鳥は、わたしたちよりもより親密に内部を飛行するから。その方が広くてずっといいだろう。

【解釈と鑑賞】
ひとつの言葉の説明をしようとすると、この1番の悲歌にあるほかの言葉はもちろん、ほかの悲歌にあるほかの言葉も説明をしなければならなくて、すべてがすべて互いに関係していて、全く網のめのよう、芋づるのようだ。どこから手をつけたらいいのだろう。
一体天使とはなんだろうか。これを説明するためには、若くして死んだ死者の話をしなければならない。その死者の話をすると、この1番の冒頭の一人称の説明をしなければならない、そうしてそれを説明すれば、わたしたちといっている一人称複数の説明をしなければならない。
それから、何故わたしは叫んでいるのだろう。何故天使は、わたしにとって、恐ろしいのだろう。私たちは、それでは、一体だれを必要としているのだろう。なぜ解釈された世界では、わたしたちは信頼がおけないのだろう。それは何故動物は知っているのだろう。なぜ留まるもののことを歌っているのだろう。なぜ夜は、孤独のこころに、疲れて立つのだろう。愛するひとたちとは何だろう。空の空間を、呼吸している空間に投げつけて加えるとは何だろう。立てるべき問いは、たくさんある。これらの問いに答えよう。
まづ天使とは何かを考え、解釈しよう。これを知るためには、1番の最後の連を読まなければならない。またこの連を原文であげ、散文訳をつけ、解釈と鑑賞を書かなければならないのだ。困ったことだ。こうして、わたしの理解した順序を伝えるためには、書かれた詩の順序通りにつたえることができないのだ。しかし、そもそもは、詩がそのようにできているからだ。悲歌は、そのように書かれている。
天使とはどのような存在かを知るために、それでは、悲歌1番の最後の連を読み、それから最後から2連目を読み、そうして、悲歌2番の2連目を読んで、また必要に応じて、あちこちの連を参照しながら、考えを進めることにしよう。明日は、悲歌1番の最後の連を。

2009年6月19日金曜日

時系列に詩をつくらぬということ

昨日のブログでわたしが書いたことと同じことを、悲歌の訳者のひとりである小説家古井由吉はこう書いている。(「詩への小路」、書肆山田)178ページ。悲歌2番の訳の前文)

「詩を読んでいる間はともかく、かりにもこれを「散文」へ訳そうとする時に、たちまち感じさせられるのは、私のような流儀の者でも、作家というものはつねに時間の前後関係に沿って文章を組み立てているということだ。読んでいる分には不都合とも気がつかないのに、訳するとなると詩文の時制(テンス)の自在さに躓く。つまり事の、人事の、経緯のほうへおのずと関心が向くということだ。たとえば触れ合った男女の、その重ね合わせた箇所に感じられる純粋な持続、とあれば抱擁か、それ以上の進展を思う。ところがその後から、接近の初めの頃の、奇異な、存在と行為の分離が同じ時制の平面において指摘される。しかし原詩の「時」は、さわらぬほうがよい。」

小説と詩の相違は、時間の処理の相違だ。処理とは、英語でいうprocessを、わたしは思って書いている。processという概念は、a x b = c、という意味である。論理学でいうと、aとbは、種概念、cはその結果の類概念を発見すること。算数、算術演算では、掛け算のこと。論理演算では、論理積。この論理積の結果を発見すること、創造することは、詩人がそのこころの底で、無意識にでも、一番願っていることだ。このプロセスには時間がない。そのようにこころと意識を育て、形づくりながら、言葉を紡ぎだす。だから、詩は時系列ではかかれない。このcにいたるには、プロセスという処理、この演算には、時間が排除されていて、含まれていない。吉田一穂という詩人は、このことを、polarization、フランス語読みで、ポラリザシオンと言っている。わたしは、垂直の旅と呼んでいる。

リルケの詩は、このように、時間という時間をできるならばすべて排除しようという強い意志によって製作されている。そういう意味では、すべてを空間的に書いているといってもよい。なにしろ、wenn、英語でいうwhenという従属接続詞を普通なら使うところを、wo, whereという従属接続詞を使ってまでいるのだから。悲歌の中では、時間が経過するということがない。詩の中では永遠が存在するか。無限とは何かとリルケは考えたのだ。それに対する答えも見つけた。そのような思考の凝縮が、この晩年の長詩なのだと思う。

2009年6月18日木曜日

リルケの詩を解釈すること

リルケの詩を理解しはじめ、それがわたし自身にもなじみのないものの考え方や感じ方ではないと知るにつけ、たった短い詩行の一行においても、至った理解を言葉にしようとすると(ここのところは、ドイツ語、日本語の違いは全く無関係である。個別言語を問わない、個別言語の問題ではない)、ばらばらになる。分解して話さなければならないからだ。

こういう高次元に立体的な建築物について、日々時間の中で書くことになるブログという形式で書くことは、本来向いていない。

時間の中で解釈されることを拒む悲歌を、どうやって時間の中で解釈することができようか。

できるとしたら、わたしの言葉を、時間の順序ではなく、リルケの詩の構造に従って、紡ぐことだ。これが、回答だ。ブログでも、そうであれば、かけるかも知れない。もっとも、読者にとっては、大変かもしれないけれども。義経の八艘飛びみたいに、ひとつのことを巡って、あちこちに飛ばなければならないから。

2009年6月10日水曜日

詩の批評について

リルケの悲歌を読みながら、結局読者であるわたしが考えをめぐらせているのは、リルケという作者、この詩人は何を考えたのか、どんな人生であったのかということである。

若年の頃、小林秀雄を読んで、作品の向こうに作者の人生を思うことが批評であるということが書いてあって、その後もそのことを疑いもしてみたが、やはり同じことをいつの間にか思っている自分がいた。

リルケの悲歌を読んでいて、作品を通じて、実証主義的な事実からではなく、即ち言語の側からだけ、その作品を通じて、その人の姿を知ること、そうして、純粋なそのひとを見、とりだすこと。作品と分かち難く。

こうしてみると、最初は大雑把に、リルケというひとは、生物も無生物も、すべてものとして観じたひとなのだなと思ってみたところから始まり、今日は、10ある悲歌を読む6回目、逆に10番から読んできて、4番に至って、段々と大きなところから下の階層に降りてきて、この4番の最初の連から、既に連をまたいである次の連との語と語の繋がり、文と文の関係が自然に見えてきた。いつも思うが、不思議なことだ。

このブログの昨日のページには、詩の定義をして、詩とは、連想の藝術であると書いたが、やはりその通りだと思う。リルケというひとの複雑精妙な連想の連鎖、思考プロセスの網の目が(文字通りに)あり、それに従って、幾つもの筋道を一緒に考え、思うことができるようになり始めた。

大切なことだと思うが、リルケは文法を外れていない。

今日も、明日のために備えよう。

詩とは何か

詩とは、連想の藝術である。

今朝というよりは、何故か眠られず、夜半の寝覚めというべきか、このような詩の定義を考えた。